、浜に流れ着いたと言って届け出られた。まさに沈まんとするワラタ号から、誰かが其のメッセイジを書いて、壜に封じて海中へ投げ込んだものに相違ないと言うのだ。これが、六つの場所から六本提出された。生死の境に嫌に落ち着いて、死の哲学といったようなことを長ながと書いてあるのもあれば、女学生の詩みたいに変にセンチ一方のもある。そうかと思うと、如何にも倉皇の際に認めたらしく、字など狼狽《あわ》てていて殆んど判読出来ないながらも、沈没に到る経路を、可成り専門的に要領よく書いてあったり、中には、
「二十八日 午前二時三十七分! これぞ余に約束せられたる死の時間なりしとは! いま、船室にありて之を認め居る余の足は、既に海水に洗われ、膝を没せんとす。船内灯火|尽《ことごと》く消えて、僅かに星明りにてペンを走らすのみ。余が妻は嬰児を抱きて、石像の如く余が傍らに立てり。相顧みて千万無量の微笑、最早や凡べては畢《おわ》んぬ。海中に投じらるるも離れじと、妻は今己が帯革もて、余と児と自らを縛しつつあり。おお神よ、今し余らは御許に急ぐ――」
などというのがあって――これは原文を載せると余程面白いのだが、ちょっと長いから省く――驚いたことには、これにはちゃんと船客名簿に載っている人の署名までしてある。かと思うと、家族に宛てた細ごまとした書置き風のもあったが、当局が調査してみると、呆れたことには、この六つが六つとも立派ないんちきだった。好奇な悪戯者が、自分で書いて尤もらしく壜へ入れて持込んだり、或いはそっと海へ流し、人に拾わせて騒ぎを起そうとしたのだった。
要するにワラタ号のことは、あの、二十七日の朝六時に、クラン・マッキンタイア号が前方の水平線下に黒煙を見送って以来、何も判らない。が、二百の人名と夥しい財物を積んでいる一万六千八百噸の船である。解らないがわからないでは済まない。会社の体面もあるし、何とか解釈をつけなくては、遺族へ顔向けも出来ないのだ。そこで、倫敦で船舶局の海事査問が開かれることになって、ワラタ号に対する一般の興味は、また、嫌が上にも掻き立てられた。海事裁判と言っても、生存者も証拠も何ひとつないのだし、それに会社支店の関係者、証人としての他船の船員などは、みな遠く濠洲、南亜から呼ばれて来るので、開廷は延び延びになり、事件後一年半を経た一九一〇年十二月十六日、倫敦のカックストン会館でひ
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