らかれた。査問委員長は治安判事J・ディッケンスンで、この海事裁判は二箇月続く。何時、何処で、如何にして、何故ワラタ号は沈んだか――若し沈んだものとすれば――と、この問題を解決しようというのが査問の目的だが、結局色いろと想像を持出して、それをまた多勢で反駁し合うだけのことで、どこまで行っても限《き》りがない。貨物の積み込み方が拙くて、片方へ寄ったのだろうという説も出たが、これは、ダアバンで積荷を請負ったマアシアルという人が出て、ワラタ号の船艙の見取図に就いて説明し、その疑いは氷解した。円材甲板《スパア・デック》に六百十四噸の石炭を積む能力があって、そのために安定を失ったのではないか、との話しもあったが、調べてみると、当時ダアバン港で二百五十噸の石炭しか取っていないことが判り、これも根拠のない事になった。海事工廠の造艦学泰斗ウイリアム・ホワイト卿、ロバアト・ステイル氏なども出廷して、参考人として意見を徴されている。殊にステイル氏は、ワラタ号の設計図を研究した後、暴風雨や浪ぐらいで覆伏するようなことは絶対にあり得ないと断言した。余程重大な、致命的な事故が起ったに相違ないというのである。とうとう、「神の御業」などという言葉まで出て来て、つまり一同は匙を投げて終った。B・A・L会社の支配人ランド氏は、最初からこの「神の御旨」を主張していたものだった。前に言った、濠洲からダアバンまでワラタ号で来て、危険を感じて下船したという人―― Mr. Claud Sawyer という弁護士だったが、その他、バアクレイカアル造船所技師ジェイムス・シャンク、姉妹船ジイロング号機関長メエスン、一等運転士オウエン、処女航海に乗ったエブスウオウスという新聞記者、ブラッグというシドニイの大学教授、これらの人々が喚問されて、ワラタに関する素人観を述ぶる。処女航海だけで下りたハアバアトというボウイなども現れたが、勿論何ら神秘を解く手懸りにはならない。一九一一年二月二十三日に此の査問会は閉じている。神の御業である以上、人間の知識で判定の下しようがないのに不思議はない。



底本:「世界怪奇実話2[#「2」はローマ数字、1−13−22]」桃源社
   1969(昭和44)年11月10日発行
入力:A子
校正:小林繁雄
2006年9月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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