《しかばね》ができあがった。その、完全に感激してぐったりしてる狂信家を、そっと夫人の寝室へ運び上げた。別室に待っていた指の利《き》く専門家のスパイが呼び込まれてさっそくメリコフの身体検査に着手する。メリコフは、重要そうにふくらんだ折り鞄を持って来ていて食事の間も足|許《もと》に引き付けていたが、どうせ古新聞紙でも詰め込んだもので、そいつへ注意を外らそうという看板にきまっている。スパイたちはそんな物へは眼もくれなかった。伯爵夫人の指揮ですぐ腹部の釦鈕《ボタン》を開く。案の定《じょう》、膚に直接|厳丈《がんじょう》な革帯《ベルト》を締めていた。ポケットがある。特製の錠がおりていたが、指仕事専門のスパイは、錠を壊さずにたくみに開けて、中から書類を取り出した。その書類を地下室へ持っていって写真を撮《と》ったのち、すぐメリコフのポケットへ返して錠をおろし、元どおり洋服の釦鈕《ボタン》を掛けておいた。メリコフはこんこんと眠っている。
2
このメリコフの腹帯《ベルト》から取り出されて写真に写された書類がなんであったか、一説には、センセイショナルな内容を有する露仏《ろふつ》秘密条約の成文だったとも伝えられているが、いまだに判然しない。しかし、このために、欧州大戦に際して、ロシアはドイツにたいして、軍略上ひじょうに不利な立場に置かれたといわれている。
アイヒレルという密偵部員の一人が、その夜やはりドロテイン街の家に詰めていた。ほかの連中がベルトから出た書類を地下室へ持って行って撮影している間、アイヒレルは寝台の上に昏睡《こんすい》状態にあるメリコフを張番していた。メリコフの所持品はすべて着衣から取り出されて傍《かたわ》らの小卓の上に並べてあった。アイヒレルは、指紋がつかないように手袋を穿《は》めて、その一つ一つを検査していたが、そのうち、ふと眼に止まったのは、メリコフの万年筆だった。それは明らかに必要以上に太い物だった。不審を打って分解してみると、はたしてインキのタンクにあたるところから上等の日本製薄紙に細字で書いて小さく巻いた密書が出てきた。これもさっそく写真に撮って、すぐ万年筆の中へ返しておいた。その時はなんだかわからなかったのだが、これは、先の革帯《かわおび》から出た本文の暗号を読む鍵語《キイ》で、これがなくては、その複雑きわまる暗号文はとうてい読みえ
前へ
次へ
全34ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧 逸馬 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング