になっている。いろいろ探りを入れてみると、目下パリー滞在中のエジプト王族の一人に、エジプト総督《そうとく》とも親交のあるアバス・ヌリ殿下という方が大の英仏|贔屓《びいき》で、しかもトルコの教育制度改革委員会の上に絶対的勢力を投げているので、そのために大勢が英仏に傾きつつあるものとしれた。
 すでに留学生たちは、イギリスとフランスと二国の大学へ振りあてられることになって、着々出発の準備を調《ととの》えている。一九一二年の三月だった。
 すると、パリーのスパイからいちはやくベルリンに報告が飛んだ。そのアバス・ヌリ殿下が、留学生問題の後始末のためパリーからコンスタンチノウプルへ急行の途、ベルリンを通って二、三日は滞泊するらしいというのだ。色仕掛けにかぎるとあって、ドロテイン街のマタ・アリへ命令一下。
 ここを日本のメロドラマでゆくと、委細《いさい》呑《の》み込んだ姐御《あねご》が、湯上りの身体を鏡台の前に据《す》えて諸肌《もろはだ》脱いで盛大な塗立工事にかかろうというところ。
 手ぐすね引いて構えている。

 政府総出の出迎え。エジプト国旗。軍楽隊、儀仗《ぎじょう》兵。大警戒。写真班――非公式の旅行なのに、ベルリン停車場へ着いてみると、大変な騒ぎだから、アバス・ヌリ殿下は、どうして知れたんだろうと不思議に思っている。が、どの途《みち》、歓迎されて悪い気はしない。欧亜雑種《ユウラシアン》の女富豪かつ天才的舞踊家として、マタ・アリが殿下に紹介されたのは最初の晩餐《ばんさん》会の席上だった。
 あとはわけはない。計画どおりに進んで、マタ・アリの嬌魅《きょうみ》が、殿下をドロテイン街の家へ惹《ひ》きよせる。応接間を通り越して、彼女の寝台《ベッド》へまで惹《ひ》き寄せてしまった。
 アバス・ヌリ殿下は、よほどマタ・アリが気に入ったのだろう。朝になると、政府が狙《ねら》っていたように、マタ・アリをコンスタンチノウプルへ同伴するといいだした。こうして、一夜ばかりでなく、マタ・アリを殿下に付けておいて、ドイツに好感を持たせるように仕向け、その間に、側面から運動しようというドイツの肚《はら》だった。で、マタ・アリも大いに喜んで、殿下のお供をしてトルコへ発《た》とうとしていると、パリーのエジプト関係者から思いがけない電報が飛んで来て、このドイツの策略はすっかり画餅《がへい》に帰してしまった。
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