研究したら、かならず犯人は捕まっていたといわれている。その出しゃばり巡査はおそらく罰俸《ばっぽう》でも食って郡部へまわされでもしたことだろうが、いうところによると、この楽書《らくがき》の書体は、これより以前、二回にわたってセントラル・ニュース社に郵送された、一通の手紙と一葉の葉書の文字に酷似していた。否、紛《まぎ》れもなく同一のものであるとのことである。
その、新聞社に宛《あ》てた手紙と葉書は、真偽《しんぎ》両説、当時大問題を醸《かも》したもので、葉書のほうは、明らかに人血をもって認《したた》め、しかも、血の指紋がべたべた[#「べたべた」に傍点]押してあった。両方とも「親愛なる親方《ボス》よ」というアメリカふうの俗語を冒頭に、威嚇《いかく》的言辞を用いて新しい犯行を揚言《ようげん》し、手紙には「売春婦でない婦人にはなんらの危害を加えないから、その点は安心していてもらいたい」という意味を付加して、ともに「斬裂人《リッパア》ジャック」と、署名してあった。あとからも続けてきたことをみても、たぶん実際の犯人が執筆|投函《とうかん》したものかもしれない。が、どこの国にも度しがたい馬鹿がいる。この「斬り裂くジャック」が現下の視聴を集めているので、なにか素晴しい人気者かなんぞのように勘違いし、そうでないまでも、ひとつ面白いから騒がしてやれなんかという好奇な閑人《ひまじん》があってかかる不届《ふとど》きな悪戯《いたずら》を組織的に始めないともかぎらない。おおいにありそうなことである。警視庁へも、これに類似の投書が山のように舞い込んでいた最中だ。したがって専門家は、このセントラル・ニュースの受信にもたいした信を置かずに、むしろ頭から一笑に付していた。しかし、グルストン街の壁の文字だけは、最初のそして最後の、純正な犯人の直筆《じきひつ》である。この唯一の貴重な証拠が、心ない一巡査の手によって無に帰したのは、かえすがえすも遺憾の極《きわみ》であった。
2
一般には知られていないが、この時、警視庁は、ロシア政府から一つの情報を受け取って、それにある程度の重要性と希望をつないでいた。数年前、モスコーにこれと同じ事件が頻発《ひんぱつ》して、やはり売春婦のみが排他的に殺され、切開手術のような暴虐が各|屍《し》体に追加してあったが、この犯人は捕縛《ほばく》されて、精神病者と判明し、同地の癲狂院《てんきょういん》に収容された。ところが、その春病院を脱走して、爾来《じらい》ゆくえ不明になっているというのである。この狂人はもとそうとうな外科医で、英国に留学していたこともあるから、ことによると、逃走後ひそかにロンドンへ潜入したのかもしれない。人相書も付随しているので、一時警視庁は、それに該当《がいとう》する人物の探査に全力を傾注《けいちゅう》した。モスコーの犯人の動機は、宗教上の狂信的な妄執《もうしゅう》からだった。すなわち彼は、こういう方法で殺害されることによってのみ、この種の穢《けが》れた女は天国の門を潜《くぐ》り得ると信じ、つまり済度《さいど》のために殺しまわったのだった。宗教的迷執|云々《うんぬん》は第二にしても、いまロンドンを震愕《しんがく》せしめている「斬裂人《リッパア》のジャック」が、かなり的確な解剖学的知識の所有主であり、また経験ある執刀《しっとう》家であることは疑いをいれない。彼は確実に子宮の位置を知り、かつ、いかにしてそれを傷つけずに摘出《てきしゅつ》するか、その最善方法をも専門的に心得ていた。バックス・ロウ街の屍《し》体からは左の腎臓がみごとに除かれてあったが、この器官を摘出することは、外科学上至難の業《わざ》とみなされていて、それによほどの実際的手腕を必要とする。これらの諸点を帰結して、モスコーの犯人と同一であるか否かはともかく、この「ジャック」なる人物も狂医師の類《たぐい》ではあるまいかという当然の結論が生まれ、それが最高の権威をもって警視庁内外の専門家を風靡《ふうび》したのだが、その問題の腎臓は該事件の二日後、新聞紙で綺麗《きれい》に包装して小包郵便で警視庁捜査課に配達された。付手紙はなく、ただ上包みの紙に例によって血の指紋が押してあるだけで、いささか注意する必要を感じたものか、署名もなかった。
しかし、セントラル・ニュース社に宛《あ》てた通信を犯人から出たものと仮定すれば、このロシア渡来の狂医師説はただちに粉砕されなければならない。なぜならば、その文章が、まるでアメリカ人の書きそうな俗語の英語で、けっして外国人の綴《つづ》ったものとは思考されないからである。文句は実にきびきび[#「きびきび」に傍点]して、下等な言葉ながらに、いや、下等な言葉なればこそ、いっそう効果的な表現に成功していた。これは、捜査の方向を捻《ね》じ曲げるために、故意にそういう書き方をしたものと見ることもできないわけはないが、とうてい外国人――正規の英語の教養があればあるほど――の手に成った文面とは首肯《しゅこう》されないし、またいかに狂人であっても、医者ならばあれほど無学な手紙は書かない、いや、いくら書こうと努力してもけっして書けないに相違ない。ことに驚くべき一事は、新聞社へきた血書の葉書が、つぎの「ジャック」の犯行時日を予言して、みごとに適中していることである。十一月九日と葉書にあるその日に、スピタルフィルド区ドルセット街ミラア・コウトで、ケリイこと別名ワッツが殺された。これもあるいは、たんにその葉書を投じた悪戯《いたずら》者のでたらめが偶然当っただけのことかもしれないが、あのグルストン街の壁の字さえ残っていたら、両者の筆蹟を比較研究することによって、葉書の真偽《しんぎ》を鑑定することは容易だったのである。
この、世界犯罪史上にもほかに類のない兇悪不可思議な人怪《じんかい》――彼を取り巻く闇黒《あんこく》の恐怖と戦慄《せんりつ》すべき神秘、それらはもう、いまとなっては闡明《せんめい》のしようがないのだ。「斬裂人《リッパア》のジャック」と呼ばれ、また、自分でもそう名乗っていたこの男は、いったい何者であったか? ある種の女たちになにか特別の遺恨《いこん》を蔵していた殺人狂だったのか。それとも、やはり|ロンドン警視庁《スコットランド・ヤアド》の一部が見込みを立てたとおりに、狂える医師ででもあったか。あるいは一説のごとく、宗教上の妄信《もうしん》をいだく狂言者か。これらはすべて彼の正体、現実の犯罪手段、その動機などに関する世人の臆測《おくそく》を残したまま彼が世間の表面から埋めさった永遠の謎である。ことによると、すでにその一切は、彼とともにいまどこかかの墓穴に眠っているかもしれない。事実、これほど連続的に行なわれ、これほど社会を震撼《しんかん》し、しかもこれほど、事件当時のみならず長く以後にわたって、警視庁《ヤアド》内部はもちろん、あらゆる犯罪学者、あらゆる私設探偵局、あらゆる新聞社の専門的犯罪記者等から、種々雑多の理論、推定が提出されたにかかわらず、実際の犯行に関しては、ただ一筋の光明さえも投げられなかったという不可解きわまる事件は、ちょっとほかに比較を求めがたいのである。「斬裂人《リッパア》ジャック」といえば、ロンドンでは、いや、英国ではだれでも知っている。およそなんらかの観点で、世界じゅうの血なまぐさい出来事に興味と注意を向けている人なら、かならず聞いたことのある名に相違ないだろう。
依然として全ロンドンを、名物の濃霧にも比すべき恐慌が押し包んでいた。
現場は、前から言うとおり、この厖大《ぼうだい》な都会のなかで、世界の塵埃棄場《ごみすてば》と呼ばれる細民《さいみん》街イースト・エンド、そこへ踏み込もうとするアルドゲイトと、多く、ユダヤ人が住んでいるので有名なホワイトチャペル街との間の、あの、暗い小庭と不潔な露地《ろじ》が網の目のように入りこんでいる陰惨な一劃《いっかく》である。滞英中、筆者はとくに護衛者を雇って、日中と深夜、前後数回にわたってこの辺一帯を探検したことがある。まったくそれは、探検という言葉がなんらの誇張もなく当てはまるほど危険な、ないしは危険を感ずる、都会悪の巣窟《そうくつ》なのだ。社会事業視察、都市経営の研究というようなことで、自身警視庁へ出頭してよく頼めば、その方面に通ずる私服刑事をひとり付けてくれる。が、私はいま、このロンドンのイースト・エンドにおける私の経験や観察を述べたり、ここの夜で私に直面したさまざまの光景を描いたりしようとは思っていない。ただしかし、実際の場所を知っている私は、この兇猛《きょうもう》な犯罪実話を書くにあたって、特殊の個人的|感興《かんきょう》を覚えるのである。そしてそれは、いくぶんの現実性をもってこの物語を裏打ちするに相違ないと信ずることができる。
ロンドン人は、何人《なんぴと》も新たなる凄慄《せいりつ》なしには、あの晩秋を回顧し得ないであろう。
最後のリッパア事件としていまだに記憶されている、十一月九日、金曜日の夜だった。
もうすっかり冬の化粧をしたロンドンである。一日じゅう離れなかった霧が、夕方ちょっと氷雨《ひさめ》に変わったりして、その晩はことに黒い液体が空間に流れ罩《こ》めたような、湿った暗夜だった。が、新聞町フリイト街からは、深夜の電話によって召集された各社社会部記者と、遊撃《ゆうげき》記者の全部が、沈黙のうちにぞくぞくとこのアルドゲイトにむかって繰り出されつつある。「血《ち》の脅威《テラア》」――ジャアナリズムはいちはやくこの連続的犯行をこう命名していた――が、またもやこの夜、貧窮と汚毒《おどく》と邪悪のイースト・エンドを訪れるのだ。白い霧に更《ふ》けた街路に、蟻《あり》も逃さぬ非常線が張りつめられ、濡《ぬ》れた舗道を踏んで、人の靴音は秘めやかに鳴った。通行人のうち、男はすべて巡査か密行《みっこう》刑事か新聞記者だった。女は、この界隈《かいわい》につきものの、売笑婦だった。この、街の女たちも、さすがに一人で歩くことを恐れて、商売にはならなくても、三、四人ずつ、雪に遭《あ》った羊のようにかたまって、霧の中から出て霧へ消えた。漂白したような蒼い顔とよろめく跫音《あしおと》だった。彼女らは、街上に会う人ごとに殺人狂ではないかとおびえて、声をあげたりした。
ふたたび言う。「斬り裂くジャック」は、職業的に、あるいは趣味的に、この売春婦という社会層に属する女だけを選んで、斬り裂くのである。斬り裂く――文字どおり、生殖器から上部へかけて外科的に切開し、引裂《リップ》するのだ。
この真夜中の怪物の横行にたいして、警察の無能を責める一般公衆の声は極点に達していた。が素人《しろうと》の市民たちが騒ぎだす前に、その筋の活動がとうに白熱化していたことも私は前言した。しかし、それは、犯人逮捕の段取りにいたらないなんらの弁解にはならないとあって、この時すでに警視庁部内には、チャアルス・ウォレン卿が責を負って辞職するやら、幾多の非壮な場面が作られていた。このウォレン卿の辞職演説はひじょうに刺戟《しげき》となって管内の全警察官を鼓舞《こぶ》した。ロンドンじゅうの警官が新しい力を感じてこのテロリスト・ジャックの捜査に勇躍した。当局のみならず、市民の有志も協力して、この街上の女の屠《と》殺者、暗黒を縫《ぬ》う夜獣を捕獲しようと狂奔《きょうほん》し、ありとあらゆる方策が案出され実行された。徹夜の自警団も組織された。探偵犬は付近に移されて出動を待っていた。すべての暗い辻、街燈の乏しい広場には、そこに面する家の二階に刑事が張り込んで徹宵《てっしょう》窓から眼を光らせた。特志の警官隊が女装して囮鴨《おとり》として深夜の町に散らばった。ホワイトチャペル街の夜の通行人は一人残らず不審訊問を受けた。挙動不審の廉《かど》で拘引《こういん》された嫌疑者、浮浪人、外国人らは全国でおびただしい数にのぼった。手がかりらしく思われる事物は、いかに些細《ささい》なことでもいちいち究極《きゅうきょく》までたぐった。
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