取りにいたらないなんらの弁解にはならないとあって、この時すでに警視庁部内には、チャアルス・ウォレン卿が責を負って辞職するやら、幾多の非壮な場面が作られていた。このウォレン卿の辞職演説はひじょうに刺戟《しげき》となって管内の全警察官を鼓舞《こぶ》した。ロンドンじゅうの警官が新しい力を感じてこのテロリスト・ジャックの捜査に勇躍した。当局のみならず、市民の有志も協力して、この街上の女の屠《と》殺者、暗黒を縫《ぬ》う夜獣を捕獲しようと狂奔《きょうほん》し、ありとあらゆる方策が案出され実行された。徹夜の自警団も組織された。探偵犬は付近に移されて出動を待っていた。すべての暗い辻、街燈の乏しい広場には、そこに面する家の二階に刑事が張り込んで徹宵《てっしょう》窓から眼を光らせた。特志の警官隊が女装して囮鴨《おとり》として深夜の町に散らばった。ホワイトチャペル街の夜の通行人は一人残らず不審訊問を受けた。挙動不審の廉《かど》で拘引《こういん》された嫌疑者、浮浪人、外国人らは全国でおびただしい数にのぼった。手がかりらしく思われる事物は、いかに些細《ささい》なことでもいちいち究極《きゅうきょく》までたぐった。
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