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と避難民の群れへ弓をさし向けて、威嚇のために空弦《からつる》を放つ。城中から軍卒一人走り出て叫ぶ。
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軍卒 札木合《ジャムカ》の殿様が、ただいまこれへおいでになります。
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四五名の参謀を従え、長刀を抜き放った城主|札木合《ジャムカ》が、急ぎはいって来る。
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札木合《ジャムカ》 (部落民を射ようとしている弟を見て)台察児《タイチャル》! 長の籠城、しかも、今日明日という負け軍に、貴様、気でも狂ったのか。城下の民へ弓を向けるとは何事だ。
台察児《タイチャル》 だが、兄上。城を開いて、自分たちが助かりたいなどと、けしからんことを言う者がありますので。
札木合《ジャムカ》 それも無理ではない。この籠城は、単なる合戦ではないことが、城下の者どもに解らんのは当り前ではないか。蒙古戦国の世だ。軍馬のいななき、弓矢の唸りはいつものことだが、この戦争には、裏に、根深い気持ちが罩《こ》もっているのだ。
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雨と降る矢の中を、台察児《タイチャル》は駈け寄って、兄|札木合《ジャムカ》の手を握る。
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台察児《タイチャル》 兄上! それを言って下さるな。それを言われると、私は、成吉思汗《ジンギスカン》に対する憎悪が、火に油を注いだように燃え上がります。嫂上のことをまだ根に持って、この執念深い城攻めだ。私は、台察児《タイチャル》は、あの、雲と群がる敵中へ斬り入って、き、斬り死にしたくなります。
札木合《ジャムカ》 (独語のように)攻める成吉思汗《ジンギスカン》にも、深い意味があり、守るわしにも、深い意味があるのだ。おれは昔、あの成吉思汗《ジンギスカン》と、一人の女を争った。それは、瑣児肝失喇《ソルカンシラ》の娘で合爾合《カルカ》姫――その恋にはおれが勝って、合爾合《カルカ》姫は今、わしの妃となっているが、成吉思汗《ジンギスカン》の身になってみれば、失恋の恨みが、そのままこのおれへの敵意となって、長い間、あの、狼のような胸の奥に燻《くすぶ》っていたに相違ない。今度、抗愛山脈中の乃蛮《ナイマン》国を攻略するに当たり、途中、この札荅蘭《ジャダラン》城を併せ従えようとしたのも、その恋のうらみがあればこそだ。だが、おれも蒙古の武士、古い恋を根に持って、大軍を率いて攻め来った成吉思汗《ジンギスカン》に、おめおめこの城を渡されようか。おい、皆見ろ! この、飛んでくる矢の一本一本に、恋に敗れた成吉思汗《ジンギスカン》の怨みがかかっているのだ。彼奴《きゃつ》の口惜しさが罩もっているのだ。ははははは、笑ってやれ。おい、皆、笑ってやれ! ははははは。(ふとおのれの興奮に気づき、強《し》いて冷静に)この札荅蘭《ジャダラン》の旗、星月《ほしづき》の旗は、祖先以来、抗愛山脈と高さを競って、城頭高く砂漠の風に吹かれて来たのだ。この星月の旗が下ろせるか。意地だよ台察児《タイチャル》、意地ずくだ。合爾合《カルカ》姫を守って、城を枕に討死にするまで――恋に強い者は、軍に弱いというが、この札荅蘭《ジャダラン》の札木合《ジャムカ》は、恋にも強く、軍にも強いことを見せてやるのだ。
台察児《タイチャル》 そうです、兄上! 嫂上|合爾合《カルカ》姫のために、この星月の旗の下で、最後の一兵となるまで城を守りましょう。(と涙を拭う)
札木合《ジャムカ》 (突然哄笑して)ははははは、目下旭の昇る勢いの成吉思汗《ジンギスカン》だ。人物才幹、この蒙古はおろか、東は遠く金の国、西は花剌子模《ホラズム》の果てまで、並ぶ者ない名将と聞いているが、古い恋の意趣遺恨を根に、この孤立無援の山寨を包囲して、あくまで陥さねば気が済まぬとは、噂ほどにもない成吉思汗《ジンギスカン》だ。いや、箔の剥げた成吉思汗《ジンギスカン》だ。小さな男だ、けち[#「けち」に傍点]な男だ! おれはあいつの面へ、この罵りを浴びせながら、笑って死にたいのだよ、はっはっは。
台察児《タイチャル》 兄上!
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刻々殖えた避難民の群集は、片隅に飢のために倒れ、呻きつつ聞き入る。一矢飛来するごとに、悲鳴を揚げる。
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札木合《ジャムカ》 今日は一気に揉み落そうとかかっているらしいな。城兵はひっそりしている。もう戦う気力も失せたのか。
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暗然と城寨の端へ歩み寄って、堡塁から下を覗き、
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札木合《ジャムカ》
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