教化に派遣されている回々《ふいふい》教僧侶、よろぼいいず。
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僧侶 おお、ここも矢が来るのか。こうなってはいよいよこの城も、今日が落城に相違ない。おう、金の商人殿、お互いとんだ災難に捲き込まれたものですなあ。
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雄叫びの音、弓矢の唸りいっそう迫る。
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商人 (生きた心もなく)今もそれを話し合っていたところです。成吉思汗《ジンギスカン》さまが、乃蛮《ナイマン》征伐の途中、この札荅蘭《ジャダラン》城を攻めて、札荅蘭《ジャダラン》の札木合《ジャムカ》様が此城《ここ》へ籠城してから、もうこれで、一と月あまりだ。私どもも、ここへ逃げ込んだばかりに、この傍杖を食ったのだ。よほど前から、城内には食い物ひとつありません。鹿の肉一きれ口にしなくなってから、はや何日かわからない。
従者 御主人様、食いものの話は止して下さい。私はこのごろ、夜も昼もうつらうつらとして、炒米《チャウミイ》の夢を見るありさまです。
僧侶 城中の生き物は、すべて食ってしまった。犬も食った、猫も食った。鼠も食った。ああ、もう鼠一匹おらぬ。
商人 なにしろ、食糧の用意もないこの狭い城へ、部落中の札荅蘭《ジャダラン》人が一度にどっと逃げ込んで、ひと月あまりも立て籠っているのですからなあ――ああ、早く故郷の中都へ帰って、腹一ぱい粟の粥が食いたい。
従者 大きな声では言えませんが、兵隊どもは戦死した仲間の肉を食っておるそうでござりますな。
商人 あっ、また軍が激しくなった。
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阿鼻叫喚の声、一時に起る。商人、従者は耳を掩うて突っ伏し、僧侶は天を仰ぎ、「アラ」を唱え、礼拝して無事を祈る。上手の鉄扉を蹴開き、城主|札木合《ジャムカ》の弟|台察児《タイチャル》、半弓を引っ提げて、出て来る。武士三四人つき従う。すべて城方の参謀、兵士らは、空腹と疲労に生色なく、軍衣は破れ、あるいは頭部《あたま》に、あるいは腕に繃帯し、血が滲んでいるなど、悪戦苦闘の跡著し。
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台察児《タイチャル》 何だ、成吉思汗《ジンギスカン》の小童め! 乃蛮《ナイマン》を攻める血祭りに、わが札荅蘭《ジャダラン》城を屠ろうとしても、札荅蘭《ジャダラン》に藩主|札木合《ジャムカ》、その弟、この台察児《タイチャル》のあるかぎりは、めったにこの城を渡しはしないぞ。(頭上の種族旗を振り仰いで)この名誉ある札荅蘭《ジャダラン》族の旗に対しても、誰が、誰が成吉思汗《ジンギスカン》などに降参するものか。おい、どうしたのだ、ここは備えが手薄ではないか。
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下手、要塞の端れへ走り行く時、僧侶ら三人を認めて、
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台察児《タイチャル》 こらっ、邪魔だっ! 一人でも口を減らしたい籠城に、何の役にも立たぬ他国の坊主や町人が逃げ込んで――うむ、そうだ、貴様らを殺して肉を食えば、もう二三日城を持ちこたえることができよう。愚民を騙《たぶら》かして坐食しておる坊主と商人、どっちも肉の柔いことだろう。臆病者め、そこ退けっ!
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城寨に駈け寄り、堡塁の陰に身を潜めて、銃眼よりしきりに矢を射落す。武士三四人もそれぞれ銃眼から射る。合戦の物音寸時も止まず。僧侶ら三人城中へ逃げ込もうとすると、同じく城内から城下の避難民多勢、農夫、牧民、老若男女、雪崩を打って逃げ出て来る。赤子を抱いた女、孫の手を引く老人など。同時に、包囲軍からの矢、おびただしくこの望楼に飛来して、避難民ら口々に絶叫し、一隅に集《かた》まって顫え戦《おのの》く。
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台察児《タイチャル》 畜生、集中射撃だな。(振り返って)またここまで騒ぎ立てて来たか。手兵は足らず、食糧は乏しい城に、城下の者まで逃げこんで、この上の足手纏いはない。
避難民中の女 (嬰児を庇いながら狂的に)御城主の弟様、軍はどうなるでございましょう。私どもはもう、好皮子《ナイビイズ》一つ口にせず、敵に殺されるより先に、飢え死にしそうでございます。
同じく老人 (半狂乱に手を合わせて)台察児《タイチャル》さま、どうか部落民を助けると思召して、城をお開き下さりませ。悪魔のような成吉思汗《ジンギスカン》の軍勢とて、よもや老人子供に害は加えますまい。
台察児《タイチャル》 ええい、言うな! 穀潰しめ! 言うに事を欠いて、この台察児《タイチャル》に向って降伏をすすめるとは何ごとだ。どうせ食い物の足らぬ折柄、貴様らを射殺して
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