込まれ、酒宴は酣《たけなわ》になる。姫は暗然と俯向いたまま、なにひとつ口にしない。
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哲別《ジェベ》 お祝いのおしるしに、また一つには、姫のお心をお慰め申すために、わが陣中の狂乱楽をお聞きに入れたいと存じますが――。
成吉思汗《ジンギスカン》 思いつきだ。すぐ始めろ。
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銅製の長大な喇叭《ビウレ》、太鼓《ケンゲルゲ》、銅鑼《ハランガ》、法螺貝《ビシズンガル》、笛《ビシダル》、その他、ツァン、デンシク、ホレホ、ツェリニン等、珍奇な楽器を抱《かか》えた盛装の軍楽隊の一団が練り込んで来て、耳を聾する音楽が始まる。同時に、兵士ら五六人、赤、黄、紫などの小旗のついた、抜身の槍を振るって、成吉思汗《ジンギスカン》陣中の名物、槍躍りを踊る。成吉思汗《ジンギスカン》はその間、たえず淋しそうな微笑を浮かべ、ともすれば考え込むが、そのようすを人に覚られまいと、気がついたように合爾合《カルカ》姫へ笑いかける。姫は終始|首垂《うなだ》れて、一語も発しない。
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成吉思汗《ジンギスカン》 もっと何かやれ。もっと酒を持って来い。誰か合爾合《カルカ》姫を笑わせる者はないか。(単純に、そして懸命に)さあ、合爾合《カルカ》、札荅蘭《ジャダラン》の城と違って、この成吉思汗《ジンギスカン》の陣中には、何でもあります。ほら、この鹿の腿肉を味わっては下さらぬか。これは狼汁です。いや、この好皮子《ナイビイズ》は、成吉思汗《ジンギスカン》陣中の自慢のものだ。いくらでも召上って下さい。
者勒瑪《ジェルメ》 さ、羊がまいりました。
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と蒙古鍋を持ち込み、焚火の上に羊肉を焙《あぶ》る。一同は剣の尖に突き差して立食する。月いよいよ冴える。
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汪克児《オングル》 あっしが一つ、姫を笑わせて御覧にいれよう。(と滑稽な身振りで、唄う)怖いものづくしを申そうなら、蒙古名物砂漠の竜巻、駱駝の喧嘩に暗夜の狼、嚊《かか》あの悋気《りんき》、いや、いっち怖いは成吉思汗《ジンギスカン》様の一睨み――おや! これでもお笑いにならない。(さまざまの物真似やお道化《どけ》た踊りで、必死に狂いまわる)
成吉思汗《ジンギスカン》 駄目だ、駄目だ! 姫はまだ笑わないぞ。こんなことでは、まだ饗応がたらぬ。誰か合爾合《カルカ》姫を笑わせるものはないか。笑わせた者は、大名に取りたててやる。(だんだん興奮して)ほら、この剣をやる! いや、この兜も与《や》る。あの、おれの馬もくれてやるぞ。笑わせろ、笑わせろ! なんとかして合爾合《カルカ》を笑わせろ!
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汪克児《オングル》はここを先途《せんど》とおかし味たっぷりに、踊ったり跳ねたりする。
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成吉思汗《ジンギスカン》 (汪克児《オングル》がきりきり[#「きりきり」に傍点]舞いをすればするほど、ますます憂鬱になる。突然怒りを含んで)えいっ、止めいっ!
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汪克児《オングル》はぺたんと尻餅をついて、肩で呼吸《いき》をする。
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成吉思汗《ジンギスカン》 面白くもない。姫を笑わすどころか、こら、見ろ、ますます沈んでしまったじゃないか。見苦しい奴だ。あっちへ行けっ!
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顔色を変えて突っ起つ。長老|哲別《ジェベ》、その雲往きを察して、追い立てるように将卒一同を引き取らせる。そして手早く合爾合《カルカ》姫を案内して、成吉思汗《ジンギスカン》の天幕《てんと》へ伴れ去る。成吉思汗《ジンギスカン》は辺りを睨《ね》め廻したのち、つと天幕へはいる。虎がのそりと立って後を追う。小姓|巴剌帖木《パラテム》が続こうとすると、
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汪克児《オングル》 巴剌帖木《パラテム》! これ――!
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と眼配《めくば》せして止める。そして、不審顔の巴剌帖木《パラテム》の手を引き、道行きのおかし味よろしく、下手へ引っ込む。舞台無人。篝りは消えかかって、正面天幕の内部に、明るく灯が映り、大きな虎の影が揺れる。長い間。幕。
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   第二幕 第二場

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成吉思汗《ジンギスカン》私用の大天幕内。舞台上手寄りに、大いなる木の寝台を置き、白い羊の皮で堆高《うずたか》きまでに覆う。楯、鎧など、ほどよきところに飾る。正面の壁には、幼稚なる豪古地図の大い
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