は、それから半時間の後だった。
ルウス・ジュッドが、良人の前に現れたということを聞き込んで、ああしてテイラア課長も、タイムスのナダン記者も、狼狽しながら知らん顔して、急いで捜査本部を立ち出でたのだった。S・Pの駅頭にトランクが開かれてから、実に四日目の午後である。
ルイス・P・ラッセル判事――此の人はいま現に羅府で弁護士を開業している――が、ジュッド医師の身柄を保管していて、この逮捕の時にも、その現場に居合わせた。
お昼頃、何処からともなく電話が掛って来た。女の声である。秘書のリチャアド・カンテロンが応答すると、
「ジュッドさんはそちらに居ましょうか」細い、かすれたような声で、「私はルウス・ジュッドですけれど」
その瞬間のカンテロンの驚きは、現しようがない。が、直ぐ彼は、その部屋に居合わせる新聞記者を警戒しなければならないことを思い附いて、
「いいえ」出来るだけ平静な声だ。「ですが、一時間以内にミュウチュアル二三三一番へ電話をお掛けになれば、そちらでお話の出来るように取り計らいましょう」
これで、電話が切れた。
この電話番号は、同じビルディング内の弁護士パトリック・クウネイの電話で、カンテロンが突嗟に思い付いて、記者連へのカムフラアジのために、ジュッド夫人へそれを告げたのだ。そしてすぐ、ラッセル判事と相談の上、それとなくジュッド医師をクウネイ弁護士の事務所へ連れ込んで置く。クウネイには事情を明かして、電話と事務所を一時借りることにした。
地下鉄ビルディングのクウネイ弁護士の事務所である。ジュッド医師を中心に、ラッセル判事と、カンテロン秘書と、三人は黙然と椅子に掛けて、じっと机上の電話を見詰めている。一時半、二時――電話は来るか、来るか――と、来た――鈴《ベル》が鳴るとジュッド医師は、顔色を変えて椅子に飛び上った。
「もしもし――ジュッドだが」
「あら、あなた?」
妻のルウスだ。
ジュッド医師は震え声で、
「ルウス、お前何処に――何処に居るんだ」
が、ルウスは良人にも居所を明かそうとしない。ジュッドは長いことかかって、自分とラッセル判事だけが、そっと会いに行くからと、悲痛な言葉で説き立てながら、
「ルウス、何も怖がることはないよ。決して直ぐ警察へ突き出したりなんかしないから。バルテモア自動車車庫を知ってるね? 知ってるだろう? お前あすこへ来ないか。僕は先へ行って待ってる。お前がいま俺に電話を掛けていることは誰も知らないんだから、すぐ、バルテモア・ガレイジへお出でよ。あすこで会おう」
受話機を掛けたジュッドの額には、大粒の汗が列のように流れて、判事も秘書も、余りの気の毒さに、正面に顔を見ることは出来なかった。
ガレイジへ来ると言ったという――。
勇躍したラッセル判事は、何を考えたのか、市第一の葬儀屋、ガス・アルヴァレッツ会社へ電話を掛けて、霊柩自動車を一台、至急バルテモア車庫へ廻わすようにと頼んだ。
「大事な仕事だから、責任のある運転手を寄越して呉れ給え」
ジュッド医師と、判事と、二人きりで、その車庫へ出掛けて行く。そっと窓から外を見ながら、ルウスの来るのを待ったのだが、あれ程興奮した瞬間の連続はなかったという。それはそうだろう。
来た。
「街を歩いて来るのが見えた」ラッセル判事が、後で新聞記者に話した。「まるで、罠を恐れる兎のように、前後左右を見ながら、急ぎ足に来ました。写真で見た通りのルウス・ジュッドでした。とうとう良人を見附けて、にっこりして手を振りました。ジュッド医師は堪らなくなったらしく、駈け出して行って彼女を抱きしめ、わざと人目を避けるために、角を曲って、第五街の入口からガレイジへ這入って来た。私は其処に立って、二人を待っていたのです」
ルウス・ジュッドは、顔は蒼ざめていたが、予期したほど疲労の色もなく、割りに冷静だった。この辺は通行人も少なく、ガレイジの使用人には何も話してないので、二人の紳士が女を待ち受けて、何か話しているとだけに見えたに相違ない。それでも、人目を避けて、車庫内の自動車の一つに乗り込んで、其処で話すことにした。
「警察へ知らせないで下さい! 出て行く時が来れば、私から出て行きますから――」
ルウスは繰り返しくりかえし、そう言った。
そこへ予ねて手配してあったガス・アルヴァレッツ葬儀会社の金ぴかの自動車が来た。判事とジュッド医師は、何も言わずに、いきなりルウスの腕を取って、その葬儀車へ乗り移ったのだ。
生きているうちに、柩に這入る――物好きな市民と、新聞社の自動車の追跡を避けて、無事に警察へ送り込むための、ラッセル判事の大苦心なのだった。
柩車へ乗りこむと、ルウスはすっかり崩折れて、
「手が痛いの、あなた。死にそうに痛いのよ」
と、良人に身を投げ
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