、殺すつもりなどはなかったんです。サミイがピストルを持って来て、今すぐ此処を出て行け、出ないと撃つと言って、あたしを狙いました。あの晩、サミイのことで、アンと私が口論になった時、サミイがアンの肩をもって、こんな態度に出たのです。あたしは夢中で、片手でサミイの拳銃を握りながら、其処にあった麺麭《パン》切りナイフに手を掛けました。途端にサミイが引き金を引いて、この左の手へ当ったのです――」
 テイラア課長は、興味を示すまいとする努力で、不自然な欠伸《あくび》を作りながら、
「ああ、眠くなった。今夜はもう止しましょう。お話しは、明日にでもゆっくり伺いますから――」
 起とうとすると、ルウスは眼をきらめかして止めて、
「待って下さい! あたくし、すっかりお話ししてしまわなければ、とても眠られないんです!」
 迷惑そうに、テイラア課長は渋しぶ椅子に返る。
「サミイが先に撃ったんですね。で、奥さんは何うなさいました」
「それが、この、左の手に当ったんです。あたしは、もう夢中でした。全身の重みで、サミイを押し倒しますと、アンが大声に叫んで、食堂へ走り込んだと思うと、大きな旧式な拳銃《ピストル》を持って直ぐ飛び込んで来ました。あたしは何時の間にか、サミイのピストルを拾い上げて、手に持っていました。無意識でした。二発撃ったんです」
 課長の背後の卓子《テエブル》で、紙に滑る秘書の鉛筆の音が微かに響く。
 ルウスは一切気が付かない様子で、
「気がつくと、二人とも床に倒れていました。あたしはとても悲しかったんです。サミイがあたしを撃ったことが、何よりも悲しゅうございました。サミイの死骸を抱き起して、何時まで泣いていたか、覚えていません。死骸を台所にそのままにして、一と先ず家へ帰ったんです。そして、良人に宛てて手紙を書くと、朝までぐっすり眠りました」
 自白はこれで、一と先ず終っている。
 テイラア課長は微笑して、
「相手が先に引き金を引いたんだから、つまり、正当防衛という訳ですかな。ははははは、仲なか巧いことを言う――まあ、奥さん、それはそれとして、何卒《どうぞ》これに御署名を」
 秘書から告白の写しを受取って、その下段の余白を指さしながら、課長はルウスにペンを握らした。


 あの日の正午、この羅府の下町で弟の自動車を下りてから、ルウスは群集に紛れて町を歩き廻ったのち、ウールウオウスの
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