とだが、月明の肉桂園《シナモン・ガーデン》で散策中の英吉利奥様《イギリスミセス》を強姦《ごうかん》し、邪魔《シヴァ》の力を借りて一晩じゅう彼女を破壊しつくし、その死体を馬来籐《マライ・ラタン》の大型籠椅子《バスケット・チェア》へしっくり[#「しっくり」に傍点]と編み込んで、それを車にいや、住まいに、いま楽しく、こうしてマカラム街付近を乗りまわすことができるのではないか。
 じっさい、ヤトラカン・サミ博士の椅子のなかでは、いつか行方不明になった何代目かの総督夫人《レディ・カヴァナ》が、じっと腰を落とし、股《また》をひろげ、膝《ひざ》を張り、上半身をややうしろへ反り、両腕を伸ばして、忠実に、じつに忠実に、あれからずうっと[#「ずうっと」に傍点]博士の体重と思想と生活の全部を、背後から支持しているのだ。

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 作者は、一九二九年の五月九日、せいろん島コロンボ市マカラム街の珈琲《コーヒー》店キャフェ・バンダラウェラの歩道の一卓で妻とともに生薑《しょうが》水をすすりながら、焼けつくような日光のなかに踊る四囲の印度《インド》的街景に眼を配っていた。そこへ、車のついた椅子に乗った、白髪赫顔の老乞食が近づいてきて、手相を見せてくれと言った。その、あらゆる天候によごれ切った、皺《しわ》のふかい顔と、奇妙なかたちの彼の椅子とを見ているうちに、私のあたまをこんな幻景《ファンタジー》が走ったのである。



底本:「ひとりで夜読むな 新青年傑作選 怪奇編」角川ホラー文庫、角川書店
   1977(昭和52)年10月15日初版発行
   1980(昭和55)年10月25日6版発行
   2001(平成13)年1月10日改版初版発行
初出:「新青年」博文館
   1929(昭和4)年10月号
入力:網迫、土屋隆
校正:門田裕志
2007年8月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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