らの脚、二つの鼻孔をつないでいる金属の輪、螺環《コイル》の髪、貝殻《かいがら》の耳飾り、閃光《せんこう》する秋波《ながしめ》、頭上に買い物を載せてくる女たち、英吉利旦那《イギリスマスター》のすばらしい自用車、あんぺらを着た乞食《こじき》ども、外国人に舌を出す土人の子、路傍に円座して芭蕉《ばしょう》の葉に盛ったさいごん[#「さいごん」に傍点]米と乾《ドライ》カレーを手づかみで食べている舗装工夫の一団、胸いっぱいに勲章を飾って首に何匹もの蛇《へび》を巻きつけた蛇使いの男、籠《かご》から蛇を出して瀬戸物らっぱで踊らせる馬来《マライ》人、蛇魅師《スネーク・チャーマー》の一行、手に手に土人|団扇《うちわ》をかざした紐育《ニューヨーク》の見物客、微風にうなずくたびに匂う肉桂《にっけい》園、ゆらゆらと陽炎《かげろう》している聖《セント》ジョセフ大学の尖塔《せんとう》、キャフェ・バンダラウェラの白と青のだんだら日よけ、料理場を通して象眼《ぞうがん》のように見える裏の奴隷湖、これらを奇異に吸収しながら、そのキャフェまえの歩道の一卓で生薑《しょうが》水と蠅《はえ》の卵を流しこんでいる日本人の旅行者夫妻、それから、すこし離れて、横眼で日本人を観察しているヤトラカン・サミ博士と、博士の椅子《いす》。

       4

 とうとう、好奇心の誘惑が、ヤトラカン・サミ博士を負かした。
 この黄色い人種は、いったいどんな口を利くだろう?――こういう興味がさっきから、好学の老博士を、しっかり把握《はあく》していたのだ。博士は、白い旅客に話しかける時のように、こっちからこの日本人に言語を注射して、その反応を見ることによって試験してやろうと決意した。
 日本人は、松葉のように細い、鈍い白眼で、博士と博士の椅子《いす》を凝視していた。それは、何ごとにかけても十分理解力のあることを示している、妙に誇りの高い眼だった。博士はふと[#「ふと」に傍点]、まるで挑戦《チャレンジ》されているような不快さを感じて、急に、その、腰かけている大型椅子の左右の肘掛《アーム》のところで、二本の鉄棒を動かしはじめた。椅子の下で、小さな車が、軋《きし》んで鳴った。ヤトラカン・サミ博士は、歩道の上を、椅子ごとすうっ[#「すうっ」に傍点]と日本人のそばへ流れ寄った。
 ヤトラカン・サミ博士の椅子は、あの、欧州戦争に参加した国々の公園などで、時おり、足の悪い、あるいは全然脚のない廃兵が、嬉々《きき》として乗りまわしているのを見かけることのある、一種の locomotive chair だった。椅子の脚に、前後左右に回転する小さな車輪がついていて、そして、ちょうどその安楽椅子の両腕の位置に、すこし前寄りに、まるで自動車のブレーキのような棒が二本下から生えている。で、座者は櫓《ろ》を漕《こ》ぐように交互にこの棒を動かして、自在にその椅子車を運転することができるのだった。
 いま、ヤトラカン・サミ博士は、非常な能率さで博士の移動椅子を移動して、日本人たちのテーブルへ滑ってきている。が男の日本人は、旅行ずれのしている不愛想な表情で、博士と博士の椅子をいっしょに無視した。
 そして彼は、ジャマイカの生薑《しょうが》水の上に広げたコロンボ発行の|せいろん独立新聞《ゼ・セイロン・インデペンデント》――一九二九・五・九・木曜日という、その日の日付のある――を、わざとがさがさ[#「がさがさ」に傍点]させて、急いで、活字のあとを追いはじめた。
 これは、脚のわるい印度乞食《インドこじき》だろう。
 だれが、くそ、こんなやつの相手になんかなるもんか――。
 その日本人の動作が、こう大声に表明した。
 しかし、ヤトラカン・サミ博士は、その脚部に、なんらの故障をも持ってはいないのである。博士の歩行椅子《ロコモティブ・チェア》は、いわば博士の印度《インド》的貴族趣味の一つのあらわれにしか、すぎなかった。

[#ここから2字下げ]
The Ceylon Independent
The Newspaper For The People
[#ここで字下げ終わり]

 市当局と世論――昨日の定例市会で市議マラダナ氏の浄水池移転問題に関する質問に対し市長は委員会を代表して、うんぬん。
 チナイヤ河口に死体漂着――二十四、五歳の白人青年。裸体。
 ピストルのあとと打撲傷。
 殺害のうえ停泊中の汽船より投棄か。
 即時バラピテ警察の活動。うんぬん。
 授業時間問題のその後――コロンボ小学児童父兄会が朝の始業時間に関して、市学務課に陳情書を提出したことは本紙の昨夕刊が報道したとおりだが、同会実行委員はこれのみでは手ぬるしとなし、本日市庁に出頭口頭をもって、うんぬん。
 ――こうして新聞を読んでいる、日本人の旅行者の男へ、博学なヤトラカン・サミ博士は、はじめ日本人が梵語《ぼんご》であろうと取ったところの、つまり、それほど自家化している、英吉利旦那《イギリスだんな》のことばを、例のうす眠たい東洋的表現とともに、ふわりと、じつにふわあり[#「ふわあり」に傍点]と投げかけた。
「旦那《マスター》、ちょっと、手相を見さしてやって下さい。やすい。安価《やす》いよ――」
 と。

       5

 ヤトラカン・サミ博士は、ひそかに人間の生き方を天体の運行と結びつけていた。
 こんなぐあいに。
 はるか西の方《かた》バビロンの高山に道路圧固機《ステイム・ロウラー》の余剰蒸気のようなもうもうたる一団の密雲が湧《わ》き起こった。
 それが、白髪白髯《はくはつはくぜん》の博識たちがあっ[#「あっ」に傍点]と驚いているうちに、豪雨と、暴風と、鳥獣の賛美と、人民の意思を具現し、日光をあつめ、植物どもの吐息を吸い、鉱石の扇動に乗じて、いつの間にか、絢爛《けんらん》大規模な架空塔の形をそなえるにいたった。これは、何千年か昔のことでもあり、また、毎日の出来事でもあるのだ。
 が、この雄壮な無限層塔の頂きには、ばびろにあ[#「ばびろにあ」に傍点]と、アッシリアと、埃及《エジプト》と、羅馬《ローマ》と、そうしてドラヴィデア王国の星たちが美々しく称神の舞踊をおどりつづけ、塔の根もとには向日葵《ひまわり》が日輪《にちりん》へ話しかけ、諸国から遊学に来た大学者のむれが天文の書物を背負い、不可思議な観測の器械を提げて、あとから後からと塔の内部の螺旋《らせん》階段を昇って行った。が、それは、要するに、バビロンの架空塔だった。だから、ついに大異変《キャタストロフ》は来た。はるか西境ばびろんの高山に、道路圧固機《ステイム・ロウラー》の余剰蒸気のようなもうもう[#「もうもう」に傍点]たる一団の密雲が横に倒れた。塔の頂上は大地を叩扉《ノック》して、心霊の眠りを覚ました。何千年か昔のことでもあり、また、昨日、いや、毎日の出来事でもある天文と、観測と、碩学《せきがく》大家どもと、彼らの白髪《しらが》と白髯《しらひげ》は、豪雨と、暴風の、鳥獣の苦悶《くもん》と、人民の失望と、日光の動揺と植物の戦慄《せんりつ》と、鉱石の平伏といっしょに、宇宙へ四散した。神通は連山をまたいで慟哭《どうこく》し「黒い魔術」は帰依《きえ》者を抱いて大鹹湖《だいかんこ》へ投身した。空は一度、すんでのことで地に接吻《せっぷん》しそうに近づき、それから、こんどはいっそう高く遠く、悠々《ゆうゆう》と満ち広がった。そうして、この、物理の懊悩《おうのう》と、天体の憂患と、犬猫《いぬねこ》の狼狽《ろうばい》と、人知の粉砕のすぐあとに来たものは、ふたたび天地の整頓《せいとん》であり、その謳歌《おうか》であり、|ひまわり《サン・フラワー》どもの太陽への合唱隊だった。が、そこに新生した蒼穹《そうきゅう》は、全く旧態をやぶったすがただった。白髪白髯《はくはつはくぜん》の博識たちがあっ[#「あっ」に傍点]とおどろいているうちに、山から山へ、いつの間にか脈々たる黄道《こうどう》の虹《にじ》が横たわっていた。暗黒と光明の前表は、鹹湖《かんこ》にも、多島海にも、路傍の沼にも、それこそ、まるで水草の花のように浮かんで、なよなよ[#「なよなよ」に傍点]と人の採取を待つことになった。これは、つまりは星が映っていたのだ。が、この新発見に狂喜した人々は、はじめて、希望をもって上空を仰いだ。そこには、あの架空塔の倒壊事件以来、羊や山羊《やぎ》や蟹《かに》や獅子《しし》や昆虫《こんちゅう》のたぐいに仮体《かたい》して、山河に飛散していたもろもろの星が、すっかりめいめいの意味をもって、ちゃあん[#「ちゃあん」に傍点]とそれぞれ天空の位置にはめ込まれていた。そしてそこから、さかんに予現の断片を投下しながら、彼らは一つにつながって、太陽と月輪《げつりん》の周囲を乱舞しだした。遊星の軌道《ブデアク》は一定した。星は、かれらが一時逃避した無機物有機物によって、双魚座、宝瓶宮《ほうべいきゅう》、磨羯宮《まげつきゅう》、射手座、天蠍《てんけつ》宮、天秤《てんびん》座、処女座、獅子宮、巨蟹《きょかい》宮、両子宮、金牛宮、白羊座、と、この十二の名で呼ばれることになった。こうして星座ができ上がった。同時に人は、自分の手のひらをも見直した。すると、驚くべきことには、星座はそこにもあった。一つひとつの星の象徴が、皮膚の渦紋《かもん》となって人間の掌《たなごころ》にありあり[#「ありあり」に傍点]と沈黙していたのだ。双魚線、宝瓶紋、磨羯線、射手線、天秤線、獅子紋、白羊線等、すべて上天の親星と相関連して、個人個人に、その運命の方向にあらゆる定業《じょうごう》を、彼の手のひらから黙示しようとひしめき合っていた。恐れおののいた人々は、自分の手のひらの線や紋と、それと糸を引く頭上の星とを、たとえば金牛線と金牛宮、処女紋と処女座といったふうに、対照し、相談し、示教を乞《こ》い、そのうえ、草木の私語《ささやき》に聴覚を凝らし、風雨の言動に心耳《しんじ》をすまし、虫魚の談笑を参考することによって、自己の秘願の当不当、その成否、手段、早道はもとより、一インチさきの闇黒《あんこく》に待っている喜怒哀楽の現象を、すべて容易に予知し、判読し、対策し転換を図ることができると知ったのである。あらびやん占星学《アストロジイ》は、印度《インド》アウルヤ派の正教に進入して、ここに、この手相学《パアミストリイ》を樹立していた。そして、それはいま、タミル族の碩学《せきがく》ヤトラカン・サミ博士に伝わっているのだ。これは、何千年か昔のできごとであると同時に、また、この瞬間の現実事でもあった。ヤトラカン・サミ博士は、おそらくは英吉利旦那《イギリスマスター》の着古しであろうぼろぼろ[#「ぼろぼろ」に傍点]のシャツの裾《すそ》を格子縞《こうしじま》の腰巻《サアロン》の上へ垂らして、あたまを髷《シイニョン》に結い上げて、板きれへ革緒《かわお》をすげた印度《インド》履き物を素足《すあし》で踏んで、例の移動|椅子《いす》に腰かけて、それを小舟のように漕《こ》いで、そうして、胸のところへ、首から、手垢《てあか》で汚れた厚紙《ぼうるがみ》の広告をぶら[#「ぶら」に傍点]下げて、日がな一日、毎日毎日このマカラム街を中心に、このへん一帯の旅客区域の舗道を熱帯性の陽線に調子を合わして、ゆっくりゆっくりと運転し歩いていた。
 その広告紙には、博士が、話しかけながら、日本人の旅行者夫妻にも見せたように、こう英吉利旦那《イギリスだんな》の文字がつながっていた。
「倫敦《ロンドン》タイムスとせいろん政府によって証明されたる世界的驚異・印度《インド》アウルヤ派の手相学泰斗・ヤトラカン・サミ博士、過去未来を通じて最高の適中率・しかも見料低廉。とくに博士は、婆羅《はら》・破鬼《シヴァ》に知友多く、彼らの口をとおして旦那《マスター》・奥方《ミセス》の身の上をさぐり出し、書物のように前に繰りひろげてみせることができます。あなたは、ただ黙って、博士の眼の下へあなたの手のひらを突き出せばいいのです・うんぬん」
 ヤトラカン・サミ博士は、この、売占
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