つの形にわかれて顕現している。婆羅と、美須奴《ヴィシヌ》と、邪魔《シヴァ》と。
婆羅は、創生を役目とする。
美須奴は、保存をつかさどる。
邪魔は、破壊を仕事にする。
と、いったように、理屈で、こうはっきり三座に区別されているくらいだから、じっさい信仰する場合には、めいめいが、このなかのどれか一つを選びとって、それを自分の吠陀《ヴェダ》としているにすぎない。で、事実は、やはり一神教なのである。要するに、印度四階級中最高の地位を占める僧侶階級《ブラマン》のうちである学者は生産の婆羅を採り、他の人々は温容の美須奴に走り、また別派は、破壊の大王《マハ・デヴァ》である邪魔に就いて言いようのない苛行《かぎょう》をくぐりながら、ひたすら転身をこいねがう。そして、これら三つの神性《デイテ》が、それぞれの婆羅門にとって Veda であるところに、全印度教を通じての確実な単一教会《ユニテイリアン》ができあがっているのだ。ヤトラカン・サミ博士が、その一つの邪魔派を標榜《ひょうぼう》する練達の道士であることは、いうまでもないのである。
こうして、Siva は破壊の吠陀《ヴェダ》である。破壊は、いま実
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