つの形にわかれて顕現している。婆羅と、美須奴《ヴィシヌ》と、邪魔《シヴァ》と。
婆羅は、創生を役目とする。
美須奴は、保存をつかさどる。
邪魔は、破壊を仕事にする。
と、いったように、理屈で、こうはっきり三座に区別されているくらいだから、じっさい信仰する場合には、めいめいが、このなかのどれか一つを選びとって、それを自分の吠陀《ヴェダ》としているにすぎない。で、事実は、やはり一神教なのである。要するに、印度四階級中最高の地位を占める僧侶階級《ブラマン》のうちである学者は生産の婆羅を採り、他の人々は温容の美須奴に走り、また別派は、破壊の大王《マハ・デヴァ》である邪魔に就いて言いようのない苛行《かぎょう》をくぐりながら、ひたすら転身をこいねがう。そして、これら三つの神性《デイテ》が、それぞれの婆羅門にとって Veda であるところに、全印度教を通じての確実な単一教会《ユニテイリアン》ができあがっているのだ。ヤトラカン・サミ博士が、その一つの邪魔派を標榜《ひょうぼう》する練達の道士であることは、いうまでもないのである。
こうして、Siva は破壊の吠陀《ヴェダ》である。破壊は、いま実在するものをいったん無に帰して、そのかわり、そこに全く新しい実在を築こうとする第一の着手だ。だから、ヤトラカン・サミ博士は、こころからふるえおののき、剃刀《かみそり》を遠ざけ、月光石《ムーン・ストン》を崇《あが》め、板っぺらの沓《くつ》をはき、白髪の髷《まげ》を水で湿し、手相見の紙着板を首にぶら下げ、大型移動椅子を万年住宅としてつつしんで、これに近づかなければならない。――
ヤトラカン・サミ博士の耳へは、草木と、風雨と、鳥獣と、虫魚と、山河とが、四六時ちゅう邪魔神の秘密通信を自然の呼吸として吹き込んでいる。
こんなぐあいに。
印度の大地も、婆羅門の社祠《しゃし》も、学者たちの墓跡も、タミル族の民族精神も、女給に出ているその娘どもも、彼女らの美しい yoni も、いまはすっかり、じつにすっかり英吉利旦那《イギリスマスター》の「文明履物《かわぐつ》」によって、見るも無残に踏みにじられていることは、何とあっても吠陀《ヴェダ》のよろこびたまわぬところだ。ことに、豪快倨傲《ごうかいきょごう》の破壊神|邪魔《シヴァ》にとっては、一日も耐えられない汚辱に相違ない――が、この旦那《マスター》方は
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