白いのは、誘拐した悪漢が、こうして伴《つ》れ歩いているうちに、このチャアリイに愛を感じ出しているらしい一事だ。彼らだって人間だからすこしも不思議はないが、手のかかる子供を抱えて、男ふたりでおおいに困ったことだろうと察しられる。どうせこんな連中だから家庭を持ったことはあるまいし、育児の経験や知識なんか、彼らからは火星ほども遠い神秘の世界だったに相違ないが、泣き止まらない時など、二人の無頼漢《ぶらいかん》がさぞ顔を見合わせて当惑したろうと、その光景を想像することは、ちょっと人間的に愉快である。そして、そのうち一人が、あるいは、両人協力して、まるで父親みたいに、ボウトの中で日向《ひなた》ぼっこでもしながら、チャアリイのためにこの玩具《おもちゃ》の舟を拵《こしら》えて、「こら、チャア公! 毀《こわ》すんじゃあねえぞ」なんかと、多分の威厳とともに与えたのだ。おそらくは、もう「チャア公」になりきっているであろうチャアリイが、「うん、毀しゃしねえや」ぐらいの返答をしたにちがいないと心描することは、不自然でなかろう。
その間も、フィラデルフィアのロス氏のもとへは、一通ごとに脅威を強調した誘拐《ゆうかい》者の手紙が、間断なく配達されていた。身代《みのしろ》金は、五万ドルにまで競《せ》りあがっていた。もう一日の猶予《ゆうよ》もならない。即座に金額を払わなければ、チャアリイの眼を硫酸で焼いてしまうといってきた。
こうして、ロス氏夫妻の苦悩と全米の騒ぎが頂天に達した時である。ふと[#「ふと」に傍点]したことからあれほど頑強だったモスタアとダグラスの二人が明るみへ引き出されて、事件は、急転直下的に、ともかく表面は解決を告げたのだった。
チャアリイが誘拐《ゆうかい》されてから五ヵ月あまり経過した。十二月十四日の深夜、ベイ・リッジというところにあるヴァン・ブラント氏の家へ押し込もうとしていた二人組の強盗が、物音を聞いて起き出た同家の執事《バトラア》によって発見された。まだはいらないで、窓ガラスを切ろうとしている現場だった。幸いこの家は男手が多かった。主人のヴァン・ブラント氏と息子と、それに運転手や料理人や召使たちが、手に手に短銃を擬して強盗に立ち向った。巡査が駈《か》けつけたのも、珍らしく早かった。強盗は勇敢な抵抗を開始した。広大な芝生の庭で拳銃戦がはじまった。家の者は窓へ倚《よ》って発砲し、警官隊は塀の間から挟《はさ》み撃ちし、強盗は、植え込みから植込みを昆虫のように這《は》って縫いながら、この内外の敵を相手に猛悪《もうあく》に応戦した。が、たちまち、彼らの一人が銃丸に当って、恐ろしい呻《うめ》き声を揚《あ》げた。つづいて、もう一人の方も草に仆《たお》れた。先にやられたほうは瀕死《ひんし》の重傷と見えて、唸り声がだんだん細ってゆく。もう一人の負傷者は、声を絞って降参《こうさん》の意を表した。人々は攻撃を中止して、それでも万一の不意打ちに備えてじゅうぶん用心しながら、声のするほうへ接近して行った。
すこし離れて、別々に倒れていた。一人は、額部《ひたい》から貫通した銃丸にすっかり後頭部を吹き飛ばされて、桑の木の下に死んでいた。即死である。手のくだしようがなかった。
ほかの一人はかなりの重傷らしかったが、まだ息が通っていて、苦しそうにブランデーを要求していた。なにか言いたいことがあるとみえる。さっそくブランデーを取り寄せて、その口へ流し込んだ。
男は、最後の舞台の中央を占める俳優的重要性をじゅうぶん意識して、死にかかっているくせに、ちょっと気取って奇怪なことを言い出した。
「皆さん、懺悔《ざんげ》させて下さい。私は、チャアリイ・ロスを誘拐《ゆうかい》して世を騒がせたジョウ・ダグラスという者です。相棒と二人でやったんです。あの相棒、ビル・モスタアという――どこかそこらに倒れてるでしょう? あいつ、ひどくやられてますか。」
この重大な告白に驚いた立会いの警官は、呼吸のあるうちにと急いで訊問をはじめた。
「なんでもいい。チャアリイはどこにいる? 早くそれを言え。」
「ヴァンダビルト家の息子と思って盗んだんでさ――。」
「盗んでどうした? いまどこにいる?」
「チャア公かね。俺あ知らねえ。」
「なに、知らない? 嘘を言え。」
「ほんとに知らねえ。チャア公の居場所なら、モスタアの野郎が知ってる。」
そのモスタアはすでに死んでる。愕然とした一同は、いっそうダグラスを囲んで詰め寄った。モスタアが即死したと聞いて、瀕死《ひんし》のダグラスも、肘《ひじ》を立てて身を起そうとした。人々はダグラスの疑いを霽《は》らすために、モスタアの屍《し》骸を引きずって来てみせなければならなかった。するとがっくり[#「がっくり」に傍点]となりながら、ダグラスが言った。
「も
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