ウォウリング氏は、自信に満ちて、いよいよ即刻手配すべく、勇躍してロス邸を辞した。
 実際警部は、この二日前に、あるたしかな筋から、モスタアとダグラスに人相の一致する二人の男が幼児を伴《つ》れて、ボルテモア付近の海岸の入江に接続する沼沢《しょうたく》地方をこっそり[#「こっそり」に傍点]とボウトでさまよっているのを見た者があるという、貴重な情報に接していたのだった。そして、事実この時すでに、腕ききの刑事の大部隊がその方面に総動員されていたのだ。が、このロス夫人の夢で見込みを倍加した探偵長は、帰庁するやいな、なおも手落ちのないように追加の警官をぞくぞくと繰り出した。ボルテモア市郊外の沼地に大々的な非常線が張り渡された。逮捕は一日、いや一時間、いや、この一刻の勝負かもしれない――警視庁とロス氏邸は、いまかいまかと吉報を待ち構えて、極度に色めき立った。
 この大がかりな非常線を指揮したのは、ウォウリング氏の同僚ヘデン警部だった。二日たつと、はたしてその部下の一人が、モスタアとダグラスの最近の足跡を嗅《か》ぎつけて来た。すっかり追い詰められて手も足も出なくなっている二人は、昨夜|窮余《きゅうよ》の一策で大胆にも繋留《けいりゅう》ちゅうの河船を襲い、拳銃《ピストル》で番人を脅迫して食糧を奪い去ったというのである。そして、特別に、罎《びん》入りの牛乳を暖めさせて持って行ったと聞いて、捜索隊はさてこそと安堵《あんど》の胸を撫でおろした。これで見ると、まだチャアリイは生きて、彼らと一緒にいるのだ。それに、二人の兇漢《きょうかん》がいかに食物に困っているかもよくわかる。捜査隊はいっそう緊張して、じりじりと網口を縮めていった。が、なにぶんにも地形が悪い。いたるところに泥沼や堰返《せきがえ》しの淀《よど》が隠れていて、地理を知るモスタアとダグラスには絶好の潜《ひそ》み場所を与えている。おまけにこっちは、応援の青年団やら好奇《ものずき》な弥次馬《やじうま》やらでやたらに人数が多いから、ざわめくばかりでも先はいちはやく物音を聞きつけて逃げてしまう。それはじつに、かなり広い地域にわたる、必死の、そして奇妙な鬼ごっこだったといっていい。第一に、彼らはけっして二晩と同じ入江に止まらない。そのため、これはあとでわかったことだが、人狩りの連中は二度も三度も闇黒《あんこく》のなかで獲物のすぐ傍《かたわら》を通りながら、すこしも気のつかないことさえあった。が、最後に、ひとり離れて身長《みたけ》ほどもある葦《あし》を分けていた一警官が、偶然、草むらの水上に隠れている古いボウトを発見した。子供は、寝かされてでもいるのか、見えなかった。髯《ひげ》だらけの男がふたり、ボウトの上から野獣のような眼をして警官を見返していた。夕方のことである。相互から同時に発砲していた。
 が、音を聞いて、付近にいあわせた人々が駈けつけた時は、もう葦《あし》がボウトを呑《の》んでしまったあとだった。まったく、あっという間のことだ。一同はすぐに、胸まで水に浸《つ》かって追跡に移ったが、すでにボウトは、迫る夕靄《ゆうも》と立ち昇る水靄《みずもや》にまぎれて、影も形もなかった。

 しかし、この出来事は、すっかりモスタアとダグラスの心胆《しんたん》を寒からしめたものとみえる。彼らはいよいよ危険を感知して、その夜のうちに狼狽《あわ》てて陸へあがったらしい。水辺にばかり気を取られていた捜査線を見事に突破して、闇黒《くらやみ》とともにいずこへともなく逃走してしまった。たぶんチャアリイを伴《つ》れたまま。
 夜明けに、捜索隊の一部が、昨夜発見の地点から四マイルを隔てた小川の岸に、乗り棄てられた空のボウトに往《ゆ》き当った。そのボウトと並んで、離れないように強い糸で縛った、一隻の玩具《おもちゃ》の小舟が浮かんでいた。玩具《おもちゃ》といっても、木の幹を小刀《ナイフ》一本で削《けず》って、どうやら舟の形に似せたもので、土人の細工《さいく》物のように不器用な、小さな独木舟《まるきぶね》だった。兇漢の一人がチャアリイのために骨を折って、何日かの大騒ぎののち、やっと作り上げたものであることがわかる。それを浮かべて、大喜びで遊んでいるチャアリイの様子が眼に見えるようだ。一同はこの可愛い「手がかり」の拾得《しゅうとく》に、いまさらのように新しい涙の微笑を禁じ得なかった。
 自家《うち》にあっては、どんな高価な、精巧な玩具《おもちゃ》をも手にすることのできる富豪の愛児である。それが誘拐《ゆうかい》されて屋根のないボウトに棲《す》み、何カ月も風雨に曝《さら》されて、こんな物をただ一つの玩具《おもちゃ》に一人で遊んでいたのだ。このチャアリイの舟を見た時は、子供を持つ警官はみんな眼をうるませたという。無理もないと思う。それよりも面
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