け持っていた。尋常四年生にもなって――だからそれは教育上の新施設として低能児学級に編制されたのである。彼らもまたせめては普通児なみの成績に近よらせたいために、それからそれがだめならば可能な限り職業教育を受けさせたいために――それはいい、けれども選りわけられたこの一群は邪魔なもの、不必要なものとして刻印を受けるにすぎないのではないか、あるいは収拾できないものを収拾させようとしてじつは…………………ぶち毀《こわ》そうと目論《もくろ》まれたのではないか――杉本は何とかしてこの子供たちも人並みにしたいと奮闘した、ここ数カ月のむだな努力を痛々しく思いだしてぶるんと頭をふりまわした。
 杉本は何も特別に低能教育の抱負や手腕を持っていたわけではなかった。彼にとってその仕事は偶然のようにあたえられた。誰だって楽な仕事の上で自分の成績をあげたいに決っている。だから学年始めが近づくと……………………………こそこそ校長の私宅を訪れた。そんな行動はおくび[#「おくび」に傍点]にも出さず、日が来ると彼らは受持学級ふり当ての発表を聞かされるのであった。この決定に異論を申したてることは許されませんぞ――と、教員の咽喉笛《のどぶえ》をにぎっている校長が高飛車に申し渡し、――というのは――と一言註釈をつける――これは私の権限に属することでありまして私としては日常平素、諸君から受ける種々なる特質と、それぞれの学級の特質とを充分慎重に考慮研究した上の決定であります。――学問をしたい、そうしたならばと一図《いちず》に思い詰めた少年の杉本がいた、官費の師範学校でさえも[#「さえも」に傍点](彼はそのさえも[#「さえも」に傍点]に力を入れて考える)知人の好意に泣き縋《すが》らねばならぬ家庭であった。喘息病《ぜんそくや》みの父親と二人の小さな妹、それらの生活が母親だけにかかっていた。仕事といわれるかどうか知らないが、母親は早朝からのふき豆売り、そして夕方はうどんの玉を商《あきな》った。手拭をかぶった小柄の女が、汚れた手車をひき、鈴をならして露地から露地に消えて行く。――そんな家に大きくなった杉本は、時たまの弁当に有頂天《うちょうてん》のよろこびを語るこの子供が、ひりひりと胸にひびいてきた。今になって杉本は、この低能組の受持に恰好した自分を発見した。すると発育不全の富次が自分の肉体の一部分みたいにいとおしくなり、濡れた着物のままぐいと脇の下にひきよせて二階三階と駈けあがるのであった。

     二

 月曜朝の第一時間目には、どの教室にもいちように修身科がおかれていた。びっしり詰った十三坪何|勺《しゃく》かの四角な教室からは、たからかな教育勅語の斉唱が廊下に溢れでた。躾《しつけ》のいい組と言われている子供たちの声が、いたって単調なリズムを刻みながらそれを繰りかえした――
 しかし、三階のとっつきにある杉本の教室は盲《めくら》めっぽうな騒音に湧きかえっていた。彼らは教師が現われてもいっこう平気であった。机の上では箒《ほうき》を構えた小さな剣士が、さあ来いと眼玉をむき、大河内伝次郎だぞ、さあさあさあ、と八方を睨みまわした。「やい手前、斬られたのにどうして死なねえんだ」と机の上の大河内は足をふみ鳴らしていきなり下にいる子供を殴りつけた。「痛えッ!」「痛かったら死ね、死んだ真似《まね》でもしろ」「何にいッ」と捕手《とりて》が机の上に跳ねあがって大河内を追っかけはじめた。塗板の下に集まった一かたまりは、べい[#「べい」に傍点]独楽《ごま》一つのために殴り合いをはじめ、塗板拭きがけしとばされると同時に、濛々《もうもう》たる白墨の粉の煙幕を立てていた。
 教室のうしろ側にもぞもぞしていた年かさの子供たちが、教師の前ではどうしなければならぬかをようやく思いだすのであった。彼らはまず習慣的に「叱《し》っ、叱《し》っ」と口を鳴らし、はては「ばか野郎ッ」とどなって警告した。「先生が来てんぞ、先生が……」その警告によって児童はやっと教師の存在をみとめ、それがそうなっているのだったらしかたがないという風にのろのろ自分の席に戻った。それから長いことかかって教室が変に静まる、すると子供たちは杉本の顔を見つめてにたにた笑いだした。
「先生――修身だあ」とひとりの子供が突然一声叫んだ。
 杉本は教卓のそばに椅子を寄らせて、顎杖をつき、ひとわたり子供を見わたした。窓は豊富に仕切られ白い壁は光線に反射しているのであるから、子供たちのさまざまな顔はがらん洞に明るすぎ、かえって重苦しく重なっているのだった。口を開けっ放しにして天井《てんじょう》ばかり見ているもの、眼をしかめたり閉じたりぐるぐるまわしたりしているもの、洟汁《はな》を絶えず舌の先で啜《すす》っているもの――いちおうは正面を向いて、何か教師の言いだすこ
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