くぞろぞろ歩いていた教員たちははっとして校長の顔を見かえる。すると彼はちょこちょこと杉本に追いついて君――とその肩をたたいた。「君の組は特別に注意してくれんと困るわい、手だけは人真似にはいはいとあげとったが、どだい君の受け持っとる低能組はわしの話を聞いとりゃせなんだ」
 午前九時かっきりになると、昇降口の扉はたった一枚だけをくぐり[#「くぐり」に傍点]のように半びらきにして、あとは全部使丁の手で閉じられてしまった。おくれかけた子供は恐怖の色を浮べてとびこんできた。柏原富次は鞄と傘と、緒《お》の切れた泥下駄をいっしょくたに胸にかかえていた。泥だらけのたたき[#「たたき」に傍点]を水洗いしていた使丁がいまいましげに舌打ちしてそれに呶鳴りつけた、「ばか野郎……そ、その泥足は何でえ……」ぴくりと富次は驚くのであるが、その時彼はえり頸を掴まえられてすでに足洗い場に運ばれていた。「それ、それ――」と使丁はがなりつける。「まだ踵《かがと》にいっぺえくっついてるじゃねえか――何だ、手前の脚は? 月に一ぺんぐらいはお湯にへえってんのか?」
「あたいはね、今日ね、お弁当を持ってきたんだよ」と富次は胸にたたみきれない喜びを露骨にあらわして、平然と使丁に話しかけた。「うそだと思うんだら、見せてやろうか? え?」
 図体の大きな使丁は、子供を荷物のように造作なく上り口に運びそこに立っている受持教師にそっぽを向いて話しかけた。
「いやはや、杉本さん、呆れけえった子供ですねえ――この餓鬼あ……」
 杉本は生温い両方の掌で、冷えた富次の頬を挾んだ。子供は上眼づかいに恐る恐るそれを見あげる。それを見あげる尖《とが》った顎から頬にかけてまっ黒い鬚がかぶさり、眼鏡の奥で黒い瞳が見つめていた。富次はようやくそれが自分の受持教師であることに気づいた。すると彼は紫色の歯ぐきを出してにこりと笑い、さっそく喋《しゃべ》りだした。
「あたいはね、先生――お弁当持ってきたよ、あたいん家《ち》ではね、昨日……だか何日だか、区役所からこんなにお米を買ってきてさ、そいでねえ、ねえ先生――」
「そうか――」と杉本は答え、まだまだ何か話したげな子供を促して階段を登るのであった。
「またあとで聞くからな、みんなが教室で待ちくたびれてんだろうよ」
 そんな単純な喜びを全身に感じてじっとしていられないような子供を、四十名近く杉本は受
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