! 忠の野郎はたとえ水を飲んでも学校さあげねばなんねえ、と、ね? よろしく頼みますで先生さま、ああ、えらく立派な人ばかし歩いてるが、こんな人はさぞや学があんでしょうなあ――先生様あ?」
ゴー・ストップに遮られた親爺は、淀んだ人混みの中であるのもかまわず、「ああ学さえあれば!」と絶望的にたからかな叫び声をあげ、めちゃくちゃに明滅しているネオンサインのあくどい光が、痩せた船頭の顔を異様に彩色するのであった。
四
不仕合《ふしあ》わせに育った子供の一人である塚原義夫を、ちっとばかり幸福にしてやるために――つまりは彼の特質である哀しい注意散漫を削ってやるための一つは、○・五しかない視力を近眼鏡で補ってやることであった。その子のためにこれくらいのことは当然だろう――と教師は決心しそれから父親宛に手紙を書くのである。「御子供さんの勉強が一段と進むことは、まったく火を見るよりも明らかなことで、義夫君も大よろこびをしていますから――」だがその日のうちに、その父親はおそろしく達者な巻舌で、湯気を立てながら我鳴りこんできた。
「べらぼうめえ、そんなお銭《あし》がころがってたらば、だなあ――こちとら親子がな、おい、先生! 三日がところお飯《まんま》にありつけようというもんだ。こんな餓鬼にお前、眼鏡なんてしゃら臭くて掛けられっかてんだ。学校で要るってならば、お前さんさっさと買っとくれ!」
うすら禿の頭の地まで真赤にし、ぱっぱと唾を反《そ》っ歯《ぱ》の合間から撥きだしながら、そんなにも昂奮してみせるのであるが、じつはこの父親も、一度は眼鏡屋を訪れてみたのであった。しかし教師の前では勝手にしやがれと自暴自棄にわめきたてていた。「それではあんまり可哀そうだ――」と杉本はつい口を辷《すべ》らかして義夫のために骨折ろうとするのである。ところが親爺はこのもののわからぬ教師を今度は本気で呶鳴りつけた。
「か、かあいそうなのはこちとらじゃねえか! 腕を持ってて腕が使えねえこんな娑婆《しゃば》に生きながらえているこちとらじゃねえか! 子供のことまで文句をつけてもらうめえ」
子供は学校にあげねばならぬおきて[#「おきて」に傍点]だというから上げている。数年前、米屋が桝《ます》を使用していた時代には彼は錚々《そうそう》たる職人として桝取業をしていた。彼の腕にかかれば、必要に応じて、一斗の米
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