らねえからよ。儲からねえたって言ったって……」教師は照れかくしに教卓のまわりを歩き、ぱっぱっと煙草をふかしつづけた。落第坊主即低能と推定されて自分の手に渡されたこの痩《や》せこけた子供が、こんなに淀《よど》みなく胸にひびく言葉をまくしたてるのだ。よしそれならば――と杉本は真赤な顔を子供に向けなおし、まだわめきつづけようとする口を強制的にでも止めてしまおうとした。
「よし!」杉本はどしんと床を踏みならした。「よし! もうわかった、それならば――」彼のそのいきおいにはっと落第生に変化してしまった川上忠一は、亀の子のように首をすくめぺろりと細い舌を出した。しまった――と思ったがすでにおそいのである。そして彼自身もその刹那から職業的な教師にかえったのも知らずに、「それではなあ川上、これから先生が訊ねることはどんどん返事をしてくれよ」と言いつづけていた。それから彼は測定用紙をひろげ、三歳程度の設問をもったいぶって拾いだしていた。
「コノ[#「コノ」に傍点]茶碗ヲアノ[#「アノ」に傍点]机ノ上ニオイテ、ソノ[#「ソノ」に傍点]机ノ上ノ窓ヲ閉メ、椅子ノ上ノ本ヲココ[#「ココ」に傍点]ニ持ッテクル――んだ」
 おそろしく生まじめな眼を輝かした教師に、川上忠一はへへら笑いを見せて簡単にその動作をやってのけた。
「その調子!」と杉本は歓声をあげた、その調子――そして、このもったいぶった検査を次々に無意味なものにたたきこわしてしまえ。彼はそう思って、「ではその次だ」と呶鳴った。
「モシオ前ガ何カ他人ノ物ヲコワシタトキニハ、オ前ハドウシナケレバナランカ?」
「しち面倒くせえ、どぶ[#「どぶ」に傍点]ん中に捨てっちまわあ――」
「え? 何? なに?」杉本はすでに掲示されている正答の「スグ詫ビマス」を予期していたのだった。だがこの子供の返答は設定された軌道をくるりと逆行した。杉本は背負い投げを喰わされたようにどきまぎした。「え? 何? なに?」と彼は繰りかえした。「もう一度言ってごらん?」
「どぶ[#「どぶ」に傍点]に捨てっちまえば、誰が毀《こわ》したんだかわかりゃしねえだろう?」と川上は訊きかえした。
「じゃあもう一つだけ――」杉本は何度も使った質問を誦《そら》んじながら今度は子供の顔を注視するのであった。「モシオ前ノ友ダチガウッカリシテイテオ前ノ足ヲ踏ンダラオ前ハドウスルカ?」
「ちえっ!
前へ 次へ
全28ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
本庄 陸男 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング