迄こんな旨《うま》い牛乳を飲んだ事がない、何とも言ひ得ぬ好い味で。」すると富豪は微笑して「一年このかた、御前様の為めに特別にこの乳牛を飼つて置きまして、……外のもの[#「もの」に傍点]は少しもやらないで、全く豌豆ばかりで飼つたのです」といつた。そしてそれは本当なことであつたのだ。実際一年以来毎日――冬でも夏でも――その乳牛は採り立ての豌豆の大俵で養はれてゐたのです。この細心な注意はなんと感心すべきではありませんか。この贅沢な飼料がどんな高価についたかは容易に想像し得られるのです。当時はまだ鉄道などはなかつたのですから豌豆の大俵は遠方から騾馬で送らねばならなかつたのです。
 当時の富豪の『意気張り《ガラントリー》』は全く想像も及ばぬ程のもので、むろん今時の成金などにそんな意気は薬にしたくもない。とブノワが余程感心したらしく言ふと、コッペ先生は大声で「全く左様だ。今は守銭奴計りだ」と吐き出すやうに現代人に対して辛辣な罵言をあびせかけた。僕は此処にもまた、別なコッペ先生があるのを見出したやうの心地がした。それは反動家のコッペである。この詩人は民主政府に対しては、ひどく反抗心を持つてゐた。(誰
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