に其の通りの人だ、自知の明ありと云ふべしだと、僕はこの時何とはなしにさう感じた。
 何故『苺園《フレジエール》』といふ名を付けたのですか? と僕達が訊いてみる。すると先生は軽快な口調で、この屋敷がさう呼ばれるのは決して苺《いちご》が採《と》れるからといふ訳ではないので、実は、フレジエと云ふ人が現今の規模に改修したからなのです。而してフレジエ氏から私が譲り受けたのです。フレジエ氏の手に入る前迄はこの屋敷は王政時代の収税請負人の領地の一部分であつたのです。
「革命以前の収税請負人などは非常に、贅沢をしてゐたので、ここへ遊びに来て、田舎気分を味ふと言ふので、時々親戚や知人を此処へ招いたものです」と話しながら、先生は王政時代の財界の富豪の事を、こんな風に語つて聞かせた。
「革命以前の財界の富豪なんて奴はどれも、みんな狡猾な奴等ばかりだつた。併し又一方には奴等は善く散財したもので、特に彼等は芸術を愛して芸人や芸術家にうんと金を与へて、保護したり奨励したものです。中にはそんな意気張りや豪奢の為めに巨万の身代を叩き潰したものさへあつたのです。君達はあの『豪奢な地主と豌豆の話』と云ふのを御存じですか?
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