フランソア・コッペ訪問記
堀口九萬一

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)苺園《フレジエール》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)『|王冠の為め《プール・ラ・クーロンヌ》』

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(例)稍※[#二の字点、1−2−22]
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 僕が詩人フランソア・コッペをマンドルの田舎に訪問したのは、十月の晴々した日であつた。僕は以前からこの別荘の名は知ってゐたし。また誰が尋ねて行つても歓迎されると云ふことも、聞いてゐた。新聞記者などがコッペの閑居『苺園《フレジエール》』の事を語る時にはいつも愉快さうな調子で話してゐたので。
 ……そこで僕達は出発した。僕達といふのは学友のシャルル・ブノワが同行したからである。ブノワはコッペの縁戚で且つ今日の往訪は予ねて先生に打合せ済みだつた。午前十時にヴァンセンヌの停車場から出発した。遠方の田舎へでも旅行するやうな意気込みで出掛けたのだつた。而して実の処マンドルは巴里近郊――日曜日には女優や女店員などが愛人と手を携へて散歩したり、学生などが短艇を漕いだり、その路傍には香の高い花が植ゑてあつたり、遠くには高い塔が見えたりなどして、宛然芝居の書き割のやうな巴里の近郊――とは全く趣を異にした処である。マンドルは百姓家が散らばつてゐて、馬糞肥料が積んであつて、群鶏が土をほじくつてゐる本当の田舎村である。而して村はづれの旅宿の看板には今尚、古式に則つて柊の枝が結び付けてある。
 何とか云ふ小さな駅(名を忘れた)で下車し、僕達は左の方へ二キロメートル程の道を歩いた。道はよく耕やされた畑の間を通つてゐた。暫くすると、ひどく大きな門の前に出た。而して大きな樹の枝は垣根越しに外にのしかかつてゐた。僕達は『苺園《フレジエール》』へ著いた。呼鈴を鳴らすとざくざくと砂の上を歩く足音と、犬の高吠えが聞えた。脣頭に微笑を浮べた、この家の主人公コッペ先生が門を開けて呉れたのだ。而して直ぐに愉快げに握手した。見ると、先生の身装《みなり》は、全く田舎の猟夫其のままの身仕度である。小さい筋目の付いた天鵞絨の胴衣を着て、氈帽を目深かに冠むつてゐ、ただ猟夫としては猟銃と獲物袋とを持つてゐないのが物足らぬ位である。
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