ペは親切で人好きはよい男だが、図書係りの職務には余り熱心といふ程ではなかつた。で、少しの隙さへあれば好きな小話《コント》を作つたり、詩作に耽つたりしてゐた。処が或日コクランがやつて来て図書館の書類の整理が不行届だなどぶつぶつ小言を言つた挙句に「図書係りは月給を貰つてゐないのか」と毒づいた。それを又コッペに告げ口した者があつたので、コッペは直ぐに辞職を申し出した。中に入つて色々となだめたり、すかしたりした人もあつたが、コッペは自分の威厳に関する問題だからといつて、頑として聴き入れず、たうとうコメデー・フランセーズの図書係を退職してしまつた。
 この事以来彼は決して外の内職などはせぬと決心して、一意文芸に精進した。そのお蔭で、懐工合も以前に比べて別段不如意になつたといふ訳でもなく、却つて自由に仕事が出来て仕合せだと、喜んでゐたといふ事だつた。これがコメデー・フランセーズ座とコッペの間柄について世間に一般に伝へられてゐる話である。
 脚本の経緯などにからまつて、話は知らぬ間に『苺園』を抜け出てゐた。
 と、急に気がついて、話を後に戻す。で、苺園を辞する前に、僕はコッペの働き振りが知りたかつたのだ。この詩人の好きな勉強時間は、朝なのか、夜なのか? 規則的であるか? 気の向き次第であるか? ゾラのやうに、前以て計画を立ててから、仕事に掛るのか、興味の湧いて来るのを待つてゐて、書くのかが知りたかつたのだ。
 すると先生の話はかうである。
「私の様な気まぐれ者はその時その時の出来心で働くのです。ともすれば私は一週間何にもする事が嫌《いや》で嫌でたまらない日があるのです……こんな田舎の閑静な処では、自分の思ふ様に続けて仕事をする事も出来ますが、巴里なぞでは、不意な事が突発するので、いや晩餐でござるの、夜会でござるのと、とても思ふやうには働けはしません。」
「先生はよくマッチルド公爵夫人の晩餐にお出になるやうですね。」
「公爵夫人のお邸の事に就いては色々な面白い事がありますよ。実の所をお話しすると、私が初めて燕尾服を作つたのも公爵邸へ招待された時なのです。大急ぎでね。あの頃はまだ私も若かつた! 私の作の「パッサン」がオデオンで初演の時、たしか千八百六十九年の春でした。公爵夫人がセングラチヤンの御別荘へ私をお招きになつたのですよ。私はおどおどしながら、御門の呼鈴を鳴らしたものです。門が
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