ラ多し。
Fools and obstinate men make lawyers rich.(イギリス)
馬鹿と剛情者が弁護士を富ます。
Lawyers' houses are built of fools' heads.(イギリス)
弁護士の家は馬鹿の頭で建てられる。
He who is his own lawyer has a fool for his client.(イギリス)
自分で弁護する訴訟の本人は馬鹿者である。
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その他弁護士に関する諺は随分沢山あるが、概《おおむ》ね皆な素人《しろうと》が拵《こしら》えた悪口であって、ちょうど我邦の川柳に医者の悪口が多いのと同様である。独り最後に掲げた諺はその例外で、次の如き逸話が残っている。
クリーヴ(Cleave)という有名な弁護士が或時被告となって自分で弁護をしたが、最後の弁論を次の如く始めた。
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閣下、余は今《い》ま自己の訴訟を自ら弁護せんとするに当り、あるいは彼の“He who acts as his own counsel has a fool for his client.”なる諺の適例を示さんことを恐れるのであります……
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裁判長ロールド・リンダルスト(Lord Lyndhurst)は彼を遮《さえぎ》って、
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クリーヴ君、御心配には及びません。あの諺は、あなた方弁護士諸君が作られたのであります。
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]
跋
本書の第三版を印行するに当って、我輩は本書第一版以下を閲読して懇切なる批評と指教とを与えられたる友人各位、就中《なかんずく》男爵菊池大麓博士、織田萬博士および船山曄智君の好意に対して深厚なる謝意を表せねばならぬ。本版において、第一版に存したる幾多の誤記誤植を訂正することを得たのは、主として上記三君の賜である。我輩はまた「国家学会雑誌」において本書中に記せる母法、子法なる熟語について詳細なる指教を賜った中田薫博士に対しても、特に深厚なる謝意を表せねばならぬ。「母法」「子法」なる学語は、我輩これを新案したと思い、セント・ルイにおける万国学芸大会の比較法学部においても“Parental Law”or“Mother Law”および“Filial Law”なる英語に訳して講演中に用いたが、中田博士の指示に依って、始めて我輩より以前、既にドイツにおいてこの種の熟語を用いた学者があったことを知り、これ畢竟我輩の浅見寡聞のいたすところと、深く慚愧《ざんき》に堪えぬ次第である。依って本版においては、この語の新案らしく聞える文字を改め、この誤謬を正すことを得たのは、全く同博士の高教に負うのである。勿論ドイツ語の、“Mutterrecht”“Tochterrecht”は母法、子法に符合する熟語であるが、普通に学語としては行われておらなかったし、殊に Mutterrecht なる語は、一八六一年にバハオーフェン(J. J. Bachofen)が有名なる母権制論を発表した名著 Das Mutterrecht 出でて以来、母権制に対する学語として社会学者、法律学者中に一般に用いられているので、我輩がその他の意義に用いた人のあったのを知らなんだのは甚だ恥かしい事である。
これはちょうど、本書の第三十五節 He shakes his head, but there is nothing in it. の部に記したのと好一対の誤信である。しかるに、この頃また一つ新たなる先存事件を発見した。それは第五十七節「スタチスチックス」の訳名の事である。我輩は太政官に政表課があり、また津田真道先生が政表学なる語を用いられた事を記し、岡松径君は「統計集誌」上に政表なる訳字は杉享二先生の選定せられたもので、文書に見えたのは、明治三年同先生が民部省へ提出された答申書を始めとすと記された。しかるに、この頃我輩が古本屋の店をあさっていると、偶然「万国政表」という書を発見した。同書は万延元年の出版で、岡本約[#「約」は小さめの文字]博卿という人がオランダ人プ・ア・デ・ヨングの著せる「スタチスチセ・ターフル・ファン・アルレ・ランデン・デル・アアルデ」を訳したもので、「福沢子囲閲」とある。子囲とは福沢諭吉先生の若年の頃の号で、先生は晩年には、支那人の真似をして字《あざな》、号などを附けるのを嫌われ、時々「雪池」と書かれたのも、洒落に過ぎなかったのであるが、当時は、漢学者流の号を用いられておったものと見える。同書の「凡例」に拠れば、始め福沢先生が同書の翻訳に着手されたが、「訳稿未ダ半ニ及バズシテ忽チ米利堅《メリケン》ノ行アリ、因テ約ニ命ジテ続訳セシム……茲ニ先生ノ栄帰ヲ待テ点閲ヲ乞ヒ」云々とあるから、この「政表」なる訳語は多分福沢先生が渡米前、即ち安政年間に新案されたものではあるまいかと思われる。とにかく、岡本博卿氏が万延元年にこの訳語を用いられたもので、少なくとも杉先生の答申書より十年前にこの訳語を用いた書が出版されておったという事は明らかである。
このような例は学問史上には少なからぬ事で、新発見、新学説などが同時または相先後して異所に現われ、しかも両者の間に何ら因果の関係がないことは最も多い。太陽系の起原に関する星雲説は独のカント、仏のラプラース(Laplace)、英のヘルシェル(Herschel)相前後してこれを唱え、始めは三国各々自国の発明の如く誇っておったが、後にはいずれも独立の創見であるという事が分った。また第四十二節に記した如く、海王星の発見においても、仏のルヴェリエーが天王星の軌道の歪みを観て、数万里外の天の一方において引力を天王星の軌道に及ぼす一大惑星の存在することを予断してその位置を測定したが、英国においては、殆どこれと同時にアダムス(Adams)が同一の意見を発表した。またこの推測に基づいてドイツではガルレ博士(Dr. Galle)、イギリスではチャリス教授(Prof. Challis)が、相前後してその惑星(海王星)を発見したために、この理論的測定については英仏の間に、またその事実的発見については英独の間に、各々その先発見の功を争うことになったが、しかし後に至っていずれも独立の事業であったということが明らかになったのである。なおこの他、数学上にても微分法に関するニュートン、ライブニッツの発明、進化論の基礎となった自然淘汰の原理に関するダルウィン、ウォレースの発見などを始めとし、発見、発明、新説などにして、相前後して現われ、しかも前者後者没交渉なる事例は枚挙するに遑《いとま》ないのである。故に学者は自家独立の研究に因る学説発見などでも、直ちにこれをもって第一創見なりと考えるのは甚だ危険な事である。純然たる独立創見は滅多にないものである。海王星の発見もそれ以前に数学、力学、星学および望遠鏡の製作などが、最早《もはや》海王星を見付けねばならぬ程度にまで進んでおったから、二星学者をして各々独立して同時に同一の推測をなし、同一の発見をなさしめて、二十八億|哩《マイル》以外における空間の物塊を二国の人民が奪い合ったような事も出来たのである。故に学者たるものは、常にこの点に留意して自己の所説をもって容易に創見なりと断ずることを慎まねばならぬ。またこれと同時に、他人の学説に対しても、論理学の誤謬論法の範例として挙げらるる「前事は後事の因にして、後事は前事の果なり」(“Post hoc, propter hoc”)との断定を容易に下すことを避けねばならぬ。書を著わし、文を草して、しばしばこの種の誤謬に陥ることあるに鑑み、ここにこれを書して自ら戒めるのである。
大正五年五月五日[#20字下げて、地より3字上げで]陳 重 追 記
底本:「法窓夜話」岩波文庫、岩波書店
1980(昭和55)年1月16日第1刷発行
1999(平成11)年9月16日第14刷発行
底本の親本:「法窓夜話」有斐閣
1926(大正15)年1月25日発行第8刷
※文庫化当たって加えられた部分は入力しなかった。具体的には、小活字で()内に付された割注(生没年、語義等)、補注、漢文、欧文の訳文。但し、補注のうち、著者の事実誤認にかかる部分については、入力者注として入力した。
※底本中に頻出する圏点は、省略した。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:高橋真也
校正:伊藤時也
2001年8月20日公開
2001年8月23日修正
青空文庫作成ファイル:
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