hon)と称するところから、オストラキズムスの名が生じたのである。さて開票の結果、六千票以上を得たものがあったときには、その者は十年間(後には五年となった)国外に追放せられる。しかしながら、これは刑罰ではなく、一種のいわゆる保安条例に過ぎないのであるから、名誉権・市民権・財産権等には、何らの影響もなく、期限満ちて帰国の上は、再び以前の身分を回復することが出来る。また満期前であっても、民会の決議によって召還せられることもある。
 第一番にこの弾劾投票の犠牲となったのはヒッパルコス(Hipparchos)であるが、この法の立案者クレイステネス自身も、制定の翌々年、ペルシアと款《かん》を通じたとの嫌疑の下に、かの商鞅と運命を同じくせざるを得なかったのである。その他アリスティデス、テミストクレス、キモン(Cimon)、ツキディデス(Thucidides)などの諸名士も、頻々《ひんぴん》としてこの厄に罹《かか》っているが、これこの法が後には政争の手段として用いらるるに至ったためであって、二党対立の場合に、しばしば合意の上にてこの投票を行い、もって互に鼎《かなえ》の軽重を問うことであった。しかるに
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