紀元前四一六年の投票に際して、二党妥協してヒペルボロス(Hyperbolos)なる一末輩に落票せしめたために、大いにこの法の価値を損じ、爾来《じらい》復《ま》た行われざるに至ったという。
ギリシアでは、アテネのみでなく、アルゴス、ミレツス、メガラなどにも類似の法が行われておったが、紀元前第五世紀において、一時シラキュースに行われたものは、貝殻の代りに橄欖《かんらん》の葉即ちペタラ(Petala)を用いたので、その名もペタリズムス(Petalismus)といったとか。
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四二 ハムムラビ法典
一 法律史上の大発見
第十九世紀において法律史上の二大発見があった。その前半においては、一八一六年にニーブール(Niebuhr)がイタリアのヴェロナの寺院の書庫においてガーイウスのインスチツーチョーネスを発見し、また同世紀の後半においては、一八八四年にハルブヘール(Halbherr)、ファブリチウス(Fabricius)の二氏がギリシアのクレート島にて、二千年以上の古法律たるゴルチーンの石壁法を発掘した。この二大発見は法律史上に最も貴重なる材料を与え、法学の進歩に偉大
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