mus)を行って、政敵アリスティデス(Aristeides)を追放し、心のままに自家の経綸《けいりん》を施して、大敵ペルシアを破ったことを知っているであろう。このオストラキズムスとは如何なるものであったか。
 ギリシア諸邦ことにアテネなどにおいては、民主主義の結果として、中央政府の勢力は極めて微弱で、一兵を動かす権力をすら持っていなかった。故にもし一人の野心家があって民心を収攬し得たならば、政府を顛覆するは、一挙手の労に過ぎないのである。紀元前五〇九年、アテネのクレイステネス(Cleisthenes)がオストラキズムスなる新法を設けたのも、在野政治家の勢力を二葉《ふたば》のうちに摘み取って、斧を用いてもなお且つ及ばざる危険に到ることを予防する目的であったのである。
 オストラキズムスは一種の弾劾投票である。毎年第一回の民会において、先ずこれを行うの必要ありや否やの議決を求め、もし積極に決したならば、次回の民会において、執政官および五百人会議員立会の上、各市民をして弾劾に当るべき人を投票せしめるのである。投票は牡蠣《かき》の一種の貝殻に記すのを例とした。その貝をオストラコン(Ostrac
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