た》えたということである。
 大正四年の夏より秋に掛けて上野|不忍《しのばず》池畔に江戸博覧会なるものが催された。その場内に大岡越前守|忠相《ただすけ》の遺品が陳列してあったが、その中に子爵大岡忠綱氏の出品に係る鑷《けぬき》四丁があって、その説明書に「大岡越前守忠相ガ奉行所ニ於テ断獄ノ際、常ニ瞑目シテ腮髯《あごひげ》ヲ抜クニ用ヒタルモノナリ」と記してあった。その鑷は大小四丁あって、その一丁は約七寸余もあろうかと思われるほどで、驚くべき大きさのものである。その他の三丁も約五寸|乃至《ないし》三寸位のもので、今日の普通の鑷に較べると実に数倍の大きさである。芝居では「菊畑」の智恵内を始めとし、繻打奴《しゅすやっこ》、相撲取などが懐から毛抜入れを取出し、五寸ばかりもあろうと思う大鑷で髯《ひげ》を抜き、また男達《おとこだて》が牀几《しょうぎ》に腰打掛けて大鑷で髯を抜きながら太平楽《たいへいらく》を並べるなどは、普通に観るところであるが、我輩は勿論これは例の劇的誇張の最も甚だしきものであると考えておったが、この出品が芝居で見るものよりも一層大きい位であるから、当時はこのような大鑷が普通であったもの
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