英国の事とて、実際に決闘を請求する者もない今日、わざわざ廃止案を出すにも及ぶまい位のことで、そのまま決議に至らずにしまった。かくてこの危険なる法律をば、廃止したともなく、忘れておった世人は、それより四十年後に至って、端《はし》なくも覚醒の機運に逢着した。
 一八一七年アッシフォード対ソーントン事件(Ashford v. Thornton)なる訴訟が起った。即ちアブラハム・ソーントンなる者がメリー・アッシフォードという少女を溺死せしめんとしたとて、メリーの兄弟からいわゆる「殺人私訴」を起したのであった。いよいよ裁判の当日となって、被告の答弁が求めらるるや、彼は決然として起ち上り、「無罪なり。余は敢えて身をもってこれを争わんと欲す」と叫んで、手袋を投じた。これ正に決闘裁判請求の形式である。この恐しき叫びは、久しく決闘を忘れたる世人の耳朶《じだ》を驚し、陪席判事は皆その請求の容《いる》るべからざるを主張し、決闘裁判に関する古法律は形式上は未だ廃止されてはおらぬが、古代の蛮法であって、数百年間行われなかったのであるから、事実上効力を失うたものであると論じた。しかしながら、その法律の儼然として未
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