分配法を定められたということである。
 この話は、けだし僧正が衆弟子の出家たる本分を忘れて、貨財の末に齷齪《あくせく》たるを憫《あわれ》んで、いささか頂門の一針を加えられたものであろう。
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 三八 決闘裁判


 刑事裁判がその源を復讐に発していることは争うべからざる事実であるが、その最も著明な証跡とも見るべきは、刑事訴訟の起訴者が現今は国家であるが、往昔《おうせき》にあっては私人であったことである。即ち被害者またはその親戚らより起訴して、原被両告の対審となることは、民事訴訟と同一であった。英国の中世には、この規則が行われておって、ことに殺人に関する私訴(Appeal of Murder)が最も著名であった。しかもこの古風な訴訟に関して、なお一層古風な慣習が行われた。それは決闘裁判(Trial by battle)である。被告は原告と決闘して正邪を決せんことを請求することが出来る。手袋を投げるのがその請求の儀式であった。
 この決闘裁判は久しく行われたことがなかった。一七七〇年および一七七四年の議会には、その廃止案が提出せられたが、元来保守的で旧慣を変ずることの大嫌いな
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