o来たのであった。
京都においては、罪人を洛中洛外に引廻す際に、科《とが》の次第を幟に書き記した上に、その科《とが》をば高声に喚《よば》わり、また通り筋の家々にては、暖簾《のれん》をはずして、平伏してこれを見るのが例であった。しかるに赤井越前守が京都町奉行に任ぜられた時、これを廃したことがあったが、「翁草《おきなぐさ》」の著者はこれを批難して、
[#ここから2字下げ、「レ」は返り点]
暖簾も其儘にして常の通りに相心得、敬するに不レ及と令せられし事、大いに当たらざるか。刑は公法なり、科の次第を幟に記し、其|科《とが》を喚《よばわ》る事、世に是を告て後来《こうらい》の戒とせんが為なれば、諸人慎んで之を承《うけたまわら》ん条、勿論なり。
[#ここで字下げ終わり]
というている。法に対する尊敬は誠にかくあるべきものである。
[#改ページ]
二二 法服の制定
法官および弁護士が着用する法服は、故文学博士黒川真頼君の考案になったものである。元来欧米の法曹界では、多くは古雅なる法服を用いて法廷の威厳を添えているので、裁判所構成法制定当時の司法卿山田顕義伯は、我国でもという考えを起し、黒川
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