試mにその考案を委託した。それで博士は、聖徳太子以来の服制を調査し、これに泰西の制をも加味して、型の如き法帽法服を考案せられたのであるという。
 この法服の制定せられた頃の東京美術学校の教授服もまた同じく黒川博士の考案に依って作られたもので、且つその体裁は極めて法服に似寄っておった。その頃、同博士は美術学校の教授をしておられたのであるが、教授服と法服との類似のために、はからずも次の如き笑話が博士自身の上に起ったことが「逸話文庫」に載せてある佐藤利文氏の談話に見えている。
 或日の事、一葉の令状が突然東京地方裁判所から黒川博士の許《もと》に舞い込んで来た。何事ならんと打驚いて見ると、来る何日某事件の証人として当廷に出頭すべしということであった。素《もと》より関係なき事故、迷惑至極とは思いながら、代人を立てる訳にも行かぬから、その日の定刻少々前に自ら裁判所に出頭せられたが、この時博士は美術学校の教授服を着用して出頭せられたのであった。すると、廷丁は丁寧に案内して、「まだ開廷には少々間がありますから、どうぞここにてお待ち下され」と言って敬礼して往った。博士は高い立派な椅子を与えられ、これに憑
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