ソゅう》にも比すべき暴君であったが、彼は盛んに峻法を設けて人民を苦しめた。一つの法令を発するごとに、これを一片の板に書き付け、数十尺の竿頭《かんとう》高く掲げて、これをもって公布と号した。人民は竿頭を仰ぎ見て、また何か我々を苦しめる法律が出来たなと想像するのみで、その内容の何たるを知ることが出来ず、丁度頭の上で烈しい雷鳴が鳴るように思うて、怖れ戦《おのの》くの外はなかったと言い伝えている。
立法者にして殊更に文章の荘重典雅を衒《てら》わんがために、好んで難文を草し奇語を用うる者はディオニシウスの徒である。民法編纂の当時、起草委員より編纂の方針に関する案を法典調査会に提出して議決を経たる綱領中に、「文章用語は意義の正確を欠かざる以上なるべく平易にして通俗なるべきこと」とあるは、特にこの点に注意したるためであった。
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一三 踊貴履賤
斉の景公、或時太夫|晏子《あんし》に向って言われるには、「卿の住宅は大分町中であるによって、物価の高低などにも定めて通じていることであろう」。晏子|対《こた》えて「仰《おおせ》の通りで御座ります。近来は踊《よう》の価が貴《たか》く、履
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