゙のみに止まらずして、無生物にまでも及び、石に打たれ木に圧されて死んだ者があった時には、その木石に刑を加えるのであった。けだしこれは、民をして殺人の重罪たる事を知らしめる主意であったのであろう。
ドラコーの法は、実に酷烈かくの如きものであって、一時満天下を戦慄せしめたが、苛酷がその度を過ぎていたために、かえって永くは行われなかったということである。
或人ドラコーに向って、「何故に犯罪は殆ど皆死をもって罰するのであるか」と尋ねた。ドラコーは答えて、「軽罪があたかも死刑に相当するのである。重罪に対しては余は適当の刑罰なきに苦しむのである」と言ったとか。たといバニャトーの説の如く、この酷法の内容は以前より存していたにもせよ、立法者の刑罰主義もまた与《あずか》って力あったことは疑うべくもない。
プルタークの英雄伝によれば、「血法」なる名称はデマデス(Demades)の評語に起源している。曰く、ドラコーは墨をもってその法を記したるものにあらず、血をもってせしなりと。
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一二 ディオニシウス、懸柱の法
昔シラキュース王ディオニシウス(Dionysius)は、桀紂《けっ
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