sり》の価が賤《やす》くなりましたように存じまする」と申上げた。これは、履とは普通人の履物のこと、踊とは※[#「※」は「月+りっとう」、第4水準2−3−23、55−5]刑《げっけい》を受けた者の用いる履物のことで、今で言ったら義足とでもいうべきところである。当時景公酷刑を用いること繁きに過ぎたので、晏子は物価の話によそえてこれを諷したのであった。景公もそれと悟って、その後は刑を省いたという。
唐律疏議表に、この事を称賛して「仁人之言其利薄哉」と言っておる。
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一四 商鞅、移木の信
秦が六国を滅して天下を一統したのは、韓非子《かんぴし》・商鞅《しょうおう》・李斯《りし》らの英傑が刑名法術の政策を用いたからであって、その二世にして天下を失うに至ったのは、書を焚き儒を坑《あな》にしたに基づくことは、人の知るところであるが、有名なる「商鞅、移木の信」の逸話は、この法刑万能主義を表現するものとして頗《すこぶ》る興味あるものである。
商鞅が秦の孝公に仕えて相となったとき、その新政の第一着手として、先ず長さ三丈の木を市の南門に立てて、もしこの木を北門に移す者あらば十金を与
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