ったからである。
しかるに第一帝国議会は、民法商法の発布せられた年の十一月に開会せられ、商法の実施期は、その後ち僅に一箇月の近くに迫っていたから、この法典を実施すべきや、将《はたま》た延期すべきやは第一帝国議会の劈頭《へきとう》第一の大問題となった。これより先き、大学の卒業生よりなる法学士会は、政府が法典の編纂を急ぎ、民法商法は帝国議会の開会前に発布せらるべしとの事を聞いて、明治二十二年春期の総会において、全会一致をもって、法典編纂に関する意見書を発表し、且つ同会の意見を内閣諸大臣および枢密院議長に開陳することを議決した。その意見書には法典の速成急施の非を痛論してあったが、これが導火線となって、当時の法律家間には、法典の発布、実施の可否が盛んに論争せられた。英仏両派の論陣はその旗幟《きし》甚だ鮮明で、イギリス法学者は殆んど皆な延期論を主張し、これに対してフランス法学者は殆んど皆な断行論であった。ただ独り富井・木下の両博士がフランス派でありながら、超然延期論を唱えられておったのが異彩を放っておった位である。我輩が「法典論」を著わしたのも当時の事で、法学士会の意見書の全文も同書に載せて
前へ
次へ
全298ページ中263ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
穂積 陳重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング