たが、だんだん取調の結果、自分の実父および実兄が下手人であった事が明白になったのである。ここにおいて、子がその父兄の罪を告発して、そのために父兄が死刑に処せられるという事態になって来た。しかるに、川越の領主秋元但馬守は、「闘訟律」には[#「」内の「一二」は返り点]「告二祖父母父母一者絞」という本文もあるが、この場合この女子を、尊長を告発したという罪に当てることの可否を決定し兼ねるというので、遂に幕府にその処置を伺い出たのである。
そこで、幕府では、当時の儒官林大学頭信篤(鳳岡)および新井筑後守(白石)に命じて擬律せしめることになった。林大学頭は、前記「闘訟律」の本文「告二祖父母父母一者絞」[#「」内の「一二」は返り点]を引用し、また「左伝」にある、
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鄭《てい》の君がその臣|蔡仲《さいちゅう》の専横を憎んで、蔡仲の聟《むこ》に命じて彼を殺害させようとした時に、蔡仲の娘がそれと知って、もしこの事を父に告げると、夫が父のために殺されるし、もしまた告げないと父が夫のために殺されるということを思い悩んだ末、終に母に向って、父と夫と何れが重親なるかと問うたところが、母がそ
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