いては彼は先進者であるから、万事彼の説に拠り、彼の説に倣うという有様であった結果に過ぎないのである。故に新学問の初期即ち明治二十年代位に至るまでは、西洋人の説とさえいえば、無暗《むやみ》にこれを有難がったものであった。例えば伊藤公が憲法取調のために洋行し、スタイン博士に諮詢《しじゅん》された以後数年間は、スタインが流行者で、同氏の説だと言えば当時の老大官連は直ちに感服したものであった。当時の川柳に「スタイン(石)で固い頭を敲《たた》き破《わ》り」というのがあった。舶来品といえば信用がある時代は、学問界においては残念ながらまだ全く脱してはいない。
我輩の友人に時計製作の大工場を持っている人がある。その工場で出来る時計は頗る精巧な物で、いわゆる舶来品に劣らぬものであるが、その製造品には社名が記し付けてない。我輩がその理由を尋ねると、その工場主は嘆息して「自分の社の名を出したいのは山々であるが、和製は即ち劣等品との世間の誤解が未だ去らぬため、銘を打てばあるいは劣等品と思われて売価が低落し、もしまた優等品と認められても、これは偽銘を打って売出すのではないかと疑われる恐があるので、世間に真価を
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