国王なしの政治をした事が「十八史略」にも、
[#ここから2字下げ、「二相」の「二」をのぞいて「レ一二」は返り点]
於レ是国人相与畔。王出二奔※[#「※」は「上に彑、下に比を置き、比の間に矢が入る」、第3水準1−84−28、205−5]一。二相周召共理二国事一。曰二共和一者十四年(而王崩于※[#「※」は「上に彑、下に比を置き、比の間に矢が入る」、第3水準1−84−28、205−5]。)
[#ここで字下げ終わり]
と見えているから、国王のない政体は、共和政治というが宜しいであろうといわれた。
省吾氏はその教に従うて、レピュブリークに共和政治という訳語を用いられ、これが今に至るまで襲用される事になったのである。
[#改ページ]
六○ 「人より牛馬に物の返弁を求むるの理なし」
明治五年にマリヤ・ルーヅ事件なるものが起った。その事実の大要は次の如きものである。同年七月にペルー人ペロレーなる者が、清国|澳門《マカオ》において同国人二百三十人を買入れて奴隷とし、これを自己の所有船マリヤ・ルーヅ号に載せて本国に連れ帰る途中、横浜に寄港した。しかるに同港において、一名の支那人が海に飛び込んで
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