脱れようとし、折柄碇泊中のイギリスの軍艦に救われ、英国公使はその処分を我政府に要求して来た。そこで我政府はマリヤ・ルーヅ号を抑留し、取調べの上ことごとく支那人を解放してこれを本国に送還した。船主ペロレーは形勢の非なるを見て脱走してその本国に帰り、自国政府に要請し、同政府より我政府に対《むか》って抗議を提出し、且つその損害賠償をも請求して来ることとなった。しかし論弁容易に終決せず、竟《つい》に露国皇帝の仲裁を乞うことととなったが、結局我政府の勝利となって、事件は漸《ようや》くその局を結ぶこととなった。
 しかるに、この仲裁裁判においてペルー政府は「人身売買は日本政府の公認するところである、日本政府は国民に対して芸娼妓などの人身売買を公許して置きながら、他国民に対してこれを禁ずるは、その理由なきものである」と抗争したのであった。これについて、当時の司法卿江藤新平氏の伝記なる「江藤南白」の著者は、実に左の如く記している。
[#ここから2字下げ]
我国は此事件に由りて「ペロレー」の非行を矯《た》め得たるも、同時に日本政府は今尚ほ斯《かか》る非行を公行する未開国たる事実を正式に世界に暴露したるの
前へ 次へ
全298ページ中160ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
穂積 陳重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング