て、幕府の代官の山本大膳という人が、享保の五人組帳前書を増補修正して百四十五箇条よりなる五人組規則を定めたが、これが即ち有名なる山本大膳五人組帳なるものである。
この山本大膳は江戸駿河台鈴木町に住んでおって、累代御代官を勤め、その人となり敦厚《とんこう》にして、忠孝を勧め、勤倹を励まし、治水に功績あるなど、当時頗る令名のあった人である。我輩の蔵する山本大膳五人組帳は、佐倉の藩士宮崎重富氏が天保十年に手写して愛蔵しておったもので、同氏が巻尾に識している語を見ても、当時山本大膳の五人組帳が世に重んぜられていた一斑を知ることが出来る。今その文を左に記そう。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ、「一日」「一小冊」「一通」の「一」をのぞいて「レ一二」は返り点]
天保|己亥《きがい》、春予以二所レ摂金穀之事一、奔二[#返り点の「二」の右横に縦棒あり]命於江都一、寓二龍口上邸中一、一日奉レ謁二
君公一、啓二我所レ職封内民事一、乃
君公出二一小冊一、自手授レ之|曰《いわく》、此県令山本大膳|上梓《じょうし》所レ蔵五人組牒者、而農政之粋且精、未レ有二過レ之者一也、汝齎二[#返り点の「二」の右横
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