法律は、概《おおむ》ね賠償、刑罰、訴訟などに関するものが多く、私法に関するものは慣習法となっているものであるが、この成文法の内容中、私法の規定の多いのは、古代法中の異例であって、研究に値すべきものである。
 その他この法律は他の原始法に見ることなき種々の変態を有しておって、学者が説明に苦しむ点も少なくない。例えば婦人の法律上の地位は非常に高く、他の原始法においては婦人には独立の身位なきのみならず、通常、物として男子の所有に属するものであるが、この法律では、母を「家の神」と称し、酒類の販売は婦人の専権とするなどを始めとし、婦人の権利に関するものが多いこと、また商工農業、運河、造船、医師、獣医、契約代理等に関する規定の多いことなどである。
 これらの規定に依って見ると、ハムムラビ王時代のバビロンは、非常に高度の文明を有しておったらしいが、また一方より見れば、その前文後文などには、この法律の淵源を神意に帰し、その制裁を神罰となし、またその刑罰規定に反坐法、祷審《とうしん》法などのあるのを見れば、文化低級の人民中に行われる法律の特質をも有していることが知られる。
 またこの法律の規定は概ね皆な因果法の規定となっておって、命令法の体裁をなしているものは殆んどない。例えば「何々をなすべし」または「何々をなすべからず」という如き規定ではなくて、「何々をなしまたはなさざれば何々の結果あるべし」というが如きものであって、古代の法でもモーゼの十令などは命令法であるが、旧約全書中に掲げてある他のモーゼの法律、十二表法、ドイツの民族法などを始めとし、概して原始法は因果法の体裁をなしているものである。故にジェレミヤスの如きは、ハムムラビ法典の規定は判決例から作ったものであるから、かくの如き体裁になっていると言うておる。

  六 世界最古の法典

 ハムムラビ法典はこれまで発見せられた法典の中では最も古いものであって、仮に紀元前二千百年説に依るも、旧約全書中に載せてあるモーゼの法律と称するものより六百年乃至七百年ほど前に出来たものである。尤もモーゼの法律についても種々の説があって、或は数種の法を併せてモーゼの法と称したものであるとし、或はモーゼの制定したものではないとの説さえある位であるから、精確にその年代を知ることは出来ぬが、仮りにシナイ山の十令を紀元前一四九一年なりとすれば、ハムムラビ法
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