上の不可思議といわねばならぬ。
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 三〇 ガーイウスに関する疑問


 ガーイウスは、羅馬《ローマ》五大法律家の一人で、サビニアン派に属し、著述もなかなか多く、殊に「十二表法」の註釈、および「金言」(Aurea)と称するものは有名である。氏の学説は、ユスチニアーヌス帝のディーゲスタ法典中に引用せられたものが多く、また同帝のイーンスチツーチョーネス法典は、氏の同名の書に拠ったものであることは、人のよく知っているところである。しかるに、古来ホーマー、シェクスペーアの如き偉人の事跡が、往々疑問の雲に蔽《おお》われていると同じく、ガーイウスの事跡の如きもまた同じ運命を免れることが出来ないのは、史上の奇現象というべきであろうか。
 第一に、氏の生死の年月が不明である。ただディーゲスタ法典中の文章に拠って、ハドリアーヌス帝の時代には、氏は既に成人であったということを推測し、氏の著書が、アントーニーヌス・ピウス帝(Antoninus Pius)、ヴェルス帝(Verus)、マールクス・アウレーリウス帝(Marcus Aurelius)の時代に係るものであることを、その記事によって知り得るのみである。
 第二に、氏の国籍が不明である。モムゼン(Mommsen)は外蕃の人であるといい、フシュケ(Huschke)はローマ人であると主張し、吾人をして転《うた》たその適従に苦しましめる。
 第三に、氏が答弁権(Jus respondendi)(法律上の問題に対し答弁をなす公権)を有せしや否やについても学者の所説は一致しない。或学者は曰く、ディーゲスタ法典編纂委員が受けたユスチニアーヌス帝の訓令には、皇帝の勅許に基づく答弁権を有したる法曹の説のみを蒐集すべしとある。しかるに、同法典中ガーイウスの説を引用すること殊に多いのを見れば、ガーイウスが答弁権を有しておったことは明白であろうという。しかるに、反対論者の説に拠れば、ガーイウスの著書は甚だ多いが、氏の答弁というものは一も存在していない。故に、氏は状師ではなく、教師または純然たる法学者であって、答弁権は有していなかったのであろう。ただ氏の学識が深遠で、名声|嘖々《さくさく》たるよりして、委員などは、帝の訓令に拘泥せずに、氏の学説を法典中に編入したものであろうというておる。
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 三一 評定所に遊女


 評定所は徳
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