R上は、商賣之者迄も、於レ有二見付輩一|者《は》、双方之家財を可レ被レ下、若《もし》又於二路次一就二見付一者、たばこ並売主を其在所に押置可二言上一、則付たる馬荷物以下、改出すものに可レ被レ下事。
附、於二何地一も、たばこ不レ可レ作事。
右之趣御領内江[#「江」はポイント小さく右寄せ]|急度《きっと》可レ被二相触一候、此旨被二仰出一者也、仍如レ件《よってくだんのごとし》。
慶長十七年八月六日
[#ここで字下げ終わり]
この後ちも幕府はしばしば喫煙および煙草耕作の禁令を出したことは、拙著「五人組制度」の中にも記して置いた通りである。しかし、この類《たぐい》の禁令はとかくに行われにくいものと見えて、その頃の落首に、
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きかぬもの、たばこ法度に銭法度、
玉のみこゑにけんたくのいしや。
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一八 禁煙令違犯者の処分
慶長年中に、幕府が喫煙禁止令を出したとき、諸国の大名もまたそれぞれその領内に対して禁煙令を出したようであるが、就中《なかんずく》薩摩の島津氏の如きは、その違犯者に対して随分厳罰を科したのであった。一体、薩摩は当時のいわゆる南蛮人が夙《はや》くから渡来した地方であるから、煙草の如きも比較的早くよりこの地方に伝播《でんぱ》して、喫煙の風は余程広く行われ、その弊害も少なくはなかったものと見えて、かの文之和尚の「南浦文集」の中にも、風俗の頽敗と喫煙の風とに関した次の如き詩を載せている。
[#ここから2字下げ、「一二」は返り点]
風俗常憂頽敗※[#「※」は「しんにょうに端のつくり」、第4水準2−89−92、65−8] 人人左衽拍二其肩一
逸居飽食坐終日 飲二此無名野草煙一
[#ここで字下げ終わり]
それで、島津氏も厳令を下して喫煙を禁止しようとしたのである。「崎陽古今物語」という書に次の如き記事が見えている。
[#ここから2字下げ、「レ一二」は返り点]
竜伯様(島津義久)惟新様(島津義弘)至二御代に一、日本国中、天下よりたばこ御禁制に被二仰渡一、御|国許《くにもと》之儀は、弥《いよいよ》稠敷《きびしく》被二仰渡一候由候処に、令《せしめ》二違背一密々呑申者共有レ之、後には相知、皆死罪に為レ被二仰渡一由候云々。
[#ここで字下げ終わり]
この如く違犯者を死刑に処するまでに厳重に禁制し
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