メテ点閲ヲ乞ヒ」云々とあるから、この「政表」なる訳語は多分福沢先生が渡米前、即ち安政年間に新案されたものではあるまいかと思われる。とにかく、岡本博卿氏が万延元年にこの訳語を用いられたもので、少なくとも杉先生の答申書より十年前にこの訳語を用いた書が出版されておったという事は明らかである。
このような例は学問史上には少なからぬ事で、新発見、新学説などが同時または相先後して異所に現われ、しかも両者の間に何ら因果の関係がないことは最も多い。太陽系の起原に関する星雲説は独のカント、仏のラプラース(Laplace)、英のヘルシェル(Herschel)相前後してこれを唱え、始めは三国各々自国の発明の如く誇っておったが、後にはいずれも独立の創見であるという事が分った。また第四十二節に記した如く、海王星の発見においても、仏のルヴェリエーが天王星の軌道の歪みを観て、数万里外の天の一方において引力を天王星の軌道に及ぼす一大惑星の存在することを予断してその位置を測定したが、英国においては、殆どこれと同時にアダムス(Adams)が同一の意見を発表した。またこの推測に基づいてドイツではガルレ博士(Dr. Galle)、イギリスではチャリス教授(Prof. Challis)が、相前後してその惑星(海王星)を発見したために、この理論的測定については英仏の間に、またその事実的発見については英独の間に、各々その先発見の功を争うことになったが、しかし後に至っていずれも独立の事業であったということが明らかになったのである。なおこの他、数学上にても微分法に関するニュートン、ライブニッツの発明、進化論の基礎となった自然淘汰の原理に関するダルウィン、ウォレースの発見などを始めとし、発見、発明、新説などにして、相前後して現われ、しかも前者後者没交渉なる事例は枚挙するに遑《いとま》ないのである。故に学者は自家独立の研究に因る学説発見などでも、直ちにこれをもって第一創見なりと考えるのは甚だ危険な事である。純然たる独立創見は滅多にないものである。海王星の発見もそれ以前に数学、力学、星学および望遠鏡の製作などが、最早《もはや》海王星を見付けねばならぬ程度にまで進んでおったから、二星学者をして各々独立して同時に同一の推測をなし、同一の発見をなさしめて、二十八億|哩《マイル》以外における空間の物塊を二国の人民が奪い合ったよ
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