驩p語に訳して講演中に用いたが、中田博士の指示に依って、始めて我輩より以前、既にドイツにおいてこの種の熟語を用いた学者があったことを知り、これ畢竟我輩の浅見寡聞のいたすところと、深く慚愧《ざんき》に堪えぬ次第である。依って本版においては、この語の新案らしく聞える文字を改め、この誤謬を正すことを得たのは、全く同博士の高教に負うのである。勿論ドイツ語の、“Mutterrecht”“Tochterrecht”は母法、子法に符合する熟語であるが、普通に学語としては行われておらなかったし、殊に Mutterrecht なる語は、一八六一年にバハオーフェン(J. J. Bachofen)が有名なる母権制論を発表した名著 Das Mutterrecht 出でて以来、母権制に対する学語として社会学者、法律学者中に一般に用いられているので、我輩がその他の意義に用いた人のあったのを知らなんだのは甚だ恥かしい事である。
 これはちょうど、本書の第三十五節 He shakes his head, but there is nothing in it. の部に記したのと好一対の誤信である。しかるに、この頃また一つ新たなる先存事件を発見した。それは第五十七節「スタチスチックス」の訳名の事である。我輩は太政官に政表課があり、また津田真道先生が政表学なる語を用いられた事を記し、岡松径君は「統計集誌」上に政表なる訳字は杉享二先生の選定せられたもので、文書に見えたのは、明治三年同先生が民部省へ提出された答申書を始めとすと記された。しかるに、この頃我輩が古本屋の店をあさっていると、偶然「万国政表」という書を発見した。同書は万延元年の出版で、岡本約[#「約」は小さめの文字]博卿という人がオランダ人プ・ア・デ・ヨングの著せる「スタチスチセ・ターフル・ファン・アルレ・ランデン・デル・アアルデ」を訳したもので、「福沢子囲閲」とある。子囲とは福沢諭吉先生の若年の頃の号で、先生は晩年には、支那人の真似をして字《あざな》、号などを附けるのを嫌われ、時々「雪池」と書かれたのも、洒落に過ぎなかったのであるが、当時は、漢学者流の号を用いられておったものと見える。同書の「凡例」に拠れば、始め福沢先生が同書の翻訳に着手されたが、「訳稿未ダ半ニ及バズシテ忽チ米利堅《メリケン》ノ行アリ、因テ約ニ命ジテ続訳セシム……茲ニ先生ノ栄帰ヲ
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