ヤの戯《たわむれ》ではあるけれども、これに依って、如何に梅君の弁論が達者であって、且つ原案の維持に努められたかの一斑を知ることが出来よう。
 富井博士の起草委員ぶりはまるで梅君と反対であった。沈思《ちんし》熟考の上起草された原案は、起草委員会において他の二人が如何に反対しても容易に屈することなく、極力原案の維持に努めて、中には或る重要な規定について、数日間討論を行うた末、議|竟《つい》に合わず、よって富井君一個の案として総会に提出して、その案が総会で採用されたことなどもあった。かくの如く、富井君は起草委員会においては極力原案の維持に努められたけれども、起草委員の原案が一たび総会に提出されると、同君はその心を空《むなし》うして委員全体の批評を待ち、反対論を容るるには毫も吝《やぶさか》ならずというが如き態度であった。
 かくの如く二君の態度の互に相反するもののあったのも、各々一理あることである。いやしくも起草委員会において慎重に取調べて案を定め、最も適当なりと信じて提出した以上は、あくまでこれを維持して所信を貫こうと努めるのは当然の事で、これに依って総会の議事も精密になり、自然利害得失の考究も細かになる訳であるから、一歩も譲らず原案を死守するというのも至極尤である。また起草委員会はその原案を作るところであるから、各自が充分にその所信を主張してこれを固執するは当然のことであるけれども、一たびその原案を委員全体の審査に付した以上は、一個の主張は衆議の参考に資するに過ぎぬものにて、法案は畢竟委員全体の意見に依って定まるものであるから、個人責任で定まる起草の際にはあくまで自説を固執するけれども、共同責任なる総会議事においては、なるべく衆議に従わんとするも、また素《もと》より道理至極である。
 我輩はある時委員の某博士に、「梅君は委員総会では非常に強いが、起草委員会では誠にやさしい。「内弁慶」ということがあるが、梅君は「外弁慶」である」と言うたら、同博士は「それが本当の弁慶である」と答えられた。
[#改ページ]

 九七 法典実施延期戦


  一 法典争議

 明治二十三年および明治二十五年の両度において、我邦の法律家の間に法典の実施断行と延期とについて激烈なる論戦があった。この論争は、我邦の立法史上および法学史上頗る意味の深い事柄であるから、ここにその梗概を話して置こうと思う
前へ 次へ
全149ページ中129ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
穂積 陳重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング