》き捜している。ムーアは、さもこそと打笑って、「君の懐中物は先ほどの耳打の際に既に被告の手に渡りました。これ君の不注意が自ら招いた禍であって、今更誰を咎《とが》めん途もありません」と言うたので、一座は且つ驚き且つ笑った。さすがの判事も茫然自失、一言をも出さなかったが、それより以後は、決して再び被害者を叱らなかったとかいうことである。
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七七 盗人の慧眼
法官サー・ジョン・シルベスター(Sir John Sylbester)が、或時窃盗事件の審問をした。その審問中、法官の手はしばしば動いて、ポケットを探っている。覓《もと》むる物あって得ざるの様子であった。かくてこの裁判は、証拠不充分放免という宣告に終り、被告は直ちに自由の身となった。
さてその日の事務を終えて、シルベスターが家に帰ると、家人迎えて言う、「今日は、時計を御忘れになったので、如何ばかりか御不便な事であろうと御噂をしておりましたところへ、裁判所から使の者を取りに遣わされました故、その者に渡しました。」
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七八 石出帯刀の縦囚
明暦三年、江戸に未曾有の大火があり、殆ど全都を灰燼に帰したことがあった。この火事は、正月十八日に始って二十日まで焼け続け、焼死者無慮十万二千百余人、そしてこれら不幸な人々の内、死骸の引取人がない者を、武蔵下総の境なる牛島という処に、大きさ六十間四方の坑を掘って埋葬し、芝の増上寺をしてここに一宇の寺院を建立せしめ、名付けて諸宗山無縁寺|回向院《えこういん》といった。これが即ち現今の回向院である。この大火の際に、当時の有名なる典獄|石出帯刀《いしでたてわき》が囚人を解放した事実は、万治四年出版の「むさしあぶみ」に次のように見えている。
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爰《ここ》に籠屋《ろうや》の奉行をば石出帯刀と申す。しきりに猛火もえきたり、すでに籠屋に近付しかば、帯刀すなはち科人《とがにん》どもに申さるるは、なんぢら今はやき殺されん事うたがひなし。まことにふびんの事なり。爰にて殺さんこともむざんなれば、しばらくゆるしはなつべし。足にまかせていづかたへも逃れ行き、ずいぶん命をたすかり、火も鎮りたらば、一人も残らず下谷《したや》のれんけいじへ来るべし。此義理をたがへず参りたらば、わが身に替へてもなんぢらが命を申たすくべし。若又此約束を違へて参らざる者
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